かつて「民主党のホープ」と呼ばれた衆議院議員の細野豪志(ほその・ごうし)氏。民主党幹事長、民進党代表代行などを経て、東京都の小池百合子知事らと希望の党を結成。だが、直後の衆院選で惨敗した。そして去年、政敵だったはずの自民党二階派に入ったことで、世間からは「裏切り者」などと批判された。民主党を離れ、自民党へと鞍替えした細野氏の目的は何だったのか。政治家として、成し遂げたいことは何のなのか。時事YouTuberのたかまつななが聞いた。
――細野さんといえば、政党を渡り歩いているイメージがあります。細野さんにとって政党とはどういうものですか?
細野:渡り歩いていると言われるとちょっと困りますが、2000年に初当選してから17年までずっと民主党にいたんです。民主党が安全保障で左傾化して、共産党とも選挙協力をすることになったので、私とは全く考え方が違うなと感じました。党内でもかなり戦いましたがその路線は変わらず、希望の党を作ったもののうまくいかなくて自民党会派に入れてもらったという感じです。
私にとって政党とは、目指す社会像があってそれを実現する手段だと捉えています。ただ、自民党ではない政党に長くいたので、相当悩みました。政治家をやめるかどうかというところまで追い込まれて、最終的にこういう決断に至りました。
――かなりの覚悟があったというのは分かったのですが、インターネットで細野さんの名前を検索すると「裏切り者」とか「うそつき」といった言葉がたくさん出てきます。そう言われるリスクは考えなかったのですか?
細野:それは思いました。自分の選挙だけを考えると野党にいたほうが楽だったんです。それまでずっと選挙で勝っているから。初めは選挙で全然だめだと言われるところから始まって、なんとか自分で基盤を作り、自民党以外で選挙に勝てる基盤ができました。そこにいる限りしばらくは大丈夫だったはずのところ、それらを全部捨てて自民党に移るわけですから、そう言われるのもしかたないかもしれません。