噂は噂では終わらなかった。各地でユダヤ教徒の迫害が起こったのだ。ユダヤ教徒が毒物を飲水に投入しているという不確かな情報に基づいて、膨大な数のユダヤ教徒が捕らえられ、拷問・虐殺された。ユダヤ教徒はイエス・キリスト殺しの張本人として常に差別の対象であったが、黒死病の大流行によるかつてない社会不安の高揚のもとで無残な迫害の対象となったのである。アルプス山脈西方地域で始まった迫害は、黒死病発生地域をたどって拡散していった。

 15世紀に入り、さらに恐るべき情報がもたらされた。1409年の教皇の大勅書で、アルプス山脈西方地域でユダヤ教徒とキリスト教徒が新宗派をつくり、悪魔の召喚など反キリスト教的な儀式を行っているという情報から、地元の異端審問官に厳しい処置を取るよう命じたのだ。

 また1430年代に、ある異端審問官は著書で、アルプス山脈西方地域に十字架を冒涜し、悪魔を崇拝し、子どもを食べる者たちがいると述べている。彼らは死んだ幼児を鍋で煮て、固形部分から魔術で使用する軟膏を作る。また動物に変身したり、空中を飛行する。嵐などの天候不順を引き起こし、人間や家畜を不妊にするという。

 この描写は、16世紀後半から17世紀前半のヴァイヤーの時代に信じられていた魔女の夜宴、サバトそのものだ。当時の様々な史料を突き合わせると、このような反キリスト教的・悪魔的な宗派は1360~1370年代に増え始めたとされている。

 キリスト教世界を転覆するために悪辣な陰謀を企てる「反キリスト教的・反社会的・悪魔的な活動に勤しむ集団」の存在が、黒死病の大流行による社会不安によって人々の心のなかに澱のように沈殿し、やがてそれが結晶化したのが「魔女」である。

 アルプス山脈西方一帯で魔女のイメージが結晶化したのは、ここが中世の代表的な異端・ワルド派の潜伏地だったことが重大な要因だと考えられる。原始キリスト教会に立ち返り、清貧の徹底、私有財産の放棄、教会の階層制の批判、民衆への熱烈な説教活動を行ったワルド派は、1184年に異端宣告され、弾圧を受け、残党が隠れ住んだのがこの地域だった。ワルド派も正統教会から悪魔崇拝の烙印を押され、魔女のイメージの一つの源流となった。ここにも差別の力学が透けて見える。

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16世紀の魔女と差別の問題