2000年の国見は大久保嘉人らプロ選手が7人誕生した (c)朝日新聞社
2000年の国見は大久保嘉人らプロ選手が7人誕生した (c)朝日新聞社
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 延長PK戦の末に山梨学院(山梨)の11年ぶり2度目の優勝で幕を閉じた今年度の高校サッカー選手権大会。今回も様々なドラマが生まれ、論争や問題も沸き起こったが、その中で昌平(埼玉)のJ内定カルテットも注目を集めた。府予選で敗退した興国(大阪)の5人とともに昌平の4人同時のJリーグ入りは快挙だが、過去にはさらに多く“未来のJリーガー”たちが同時期にプレーしたチームがある。

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 伝説として知れ渡っているのが、1990年度の清水商業(静岡)だ。システムは4-3-3。GK大石尚哉(3年→筑波大→V川崎)から、DF陣は鋭い読みのスイーパー・薩川了洋(3年→全日空・横浜F)、磐田、鹿島で優勝を経験してJ1通算386試合に出場した大岩剛(3年→筑波大→名古屋)、空中戦に強い西ヶ谷隆之(2年→筑波大→名古屋)、ビルドアップ型の望月慎之(3年→同志社大→京都)と居並ぶ守備陣。

 そして、のちに日本代表の10番を背負い、磐田の黄金期をけん引した司令塔・名波浩(3年→順天堂大→磐田)が高精度の左足でゲームを支配し、日本代表入りも果たした望月重良(2年→筑波大→名古屋)が豊富な運動量でサポート。FW陣は、超高校級として将来を嘱望されていた山田隆裕(3年→日産・横浜M)をエースに、田光仁重(3年→順天堂大→福岡)と興津大三(1年→筑波大→清水)も積極果敢に相手ゴールに迫った。

 実にレギュラー11人中10人が、のちにJリーグの舞台で活躍。控えには強烈な左足を持った平野孝(1年→名古屋)もおり、その強さは圧倒的で、インターハイと全日本ユースで2冠を達成し、練習試合ではあるがJSL(日本サッカーリーグ)のチームにも勝利するほどだった。選手権ではよもやの3回戦でPK敗退となったが、それでも彼らのその後の活躍も含めて、“史上最強”と呼ぶ声が多いのは納得だ。

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