若い世代が、介護のために自分の人生をあきらめたり、あるいは介護を担わないことで無用の罪悪感を持ったり……。20代後半に祖母の介護をすることになった河村美樹さん(仮名)は「おばあちゃんが亡くなっても構わない」と思うまで追い詰められたという。

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 毎日、食事を用意し、食べさせる。掃除、洗濯をすませ、トイレに連れていく。入浴の介助も必要で、少し外出して戻ると、祖母が失禁していることもあった。お金に困ることはなかったが、祖母に財産があることが、親戚とのトラブルを引き起こした。美樹さんのおじで、祖母の息子が、祖母の通帳を持っていってしまったのだ。

 返すように催促しても、一向に戻ってこない。最終的には、警察を呼ぶ騒動にまで発展し、約1年後にようやく通帳は戻ってきた。幸い、悪用されてはいなかった。しかしこれをきっかけに、美樹さんは祖母に成年後見人をつけ、お金の管理をしてもらう決心をし、その手続きに一人奔走した。

「明日、おばあちゃんが亡くなっても構わない。むしろそのほうがありがたい」

 そう思うまで、美樹さんは追い詰められた。

 09年、美樹さんは特別養護老人ホーム(特養)に預けようと考えた。もう限界だった。ただ、認知症のため祖母の意思確認ができないうえに、祖母が“終の棲家(ついのすみか)”だと思っていた家から施設へ移すことへの罪悪感もあった。特養へ申し込んだものの、本当に預けるべきか、逡巡していた。そんな美樹さんに、訪問調査に来た女性が、「若いのに大変だ。あなたの人生も大切。私もできるだけご協力します」と言ってくれて、決心がついた。

 翌年の年明けに、祖母は施設へ入所した。自宅から歩いて30分。ここなら、いつでも会いに行ける。祖母が新しい環境に慣れてきたころ、美樹さんは渋谷に出かけた。久しぶりに味わう自分だけの時間。その日の嬉しさは、今でも忘れられない。

「ゆっくり昼ごはんを食べたあと、ずっと見たかった映画を見ました。終わった後に、雑貨ショップをぶらぶらと歩いて……。帰りの時間を気にしなくていいのが、こんなにもありがたいこととは思わなかった」

週刊朝日 2013年4月19日号