だからこそ日本の戦争は、日本に残されたおばあちゃんたちによって語られてきた。それは、軍事政権がいかに国民の命と暮らしを奪ったのかという悲惨の語りだ。私の祖母は、東京大空襲の夜、雪の上に落ちる焼夷弾があまりに明るく美しく一瞬見とれてしまったこと、貴重な卵を抱えて逃げ、それが割れてしまったときの感情、隣組のオジサンの横暴さがどれほど不快だったかなど、よく話してくれた。祖母の戦争の話にタブーはなく、私は昔話のように祖母にせがんで聞いたものだ。
加害の体験が話されることはなく、聞くこともない。孫たちは「おじいちゃんの戦争」を知らずに生きてきた。加害の歴史に向き合うこともなく、家の中では子煩悩なおじいちゃんの笑顔をみながら。
森氏の孫発言を聞いて、「おじいちゃんは家族にとってはいい人なんです」という無邪気な発信が、社会に向けて発せられることの意味を考えさせられる。家庭内の暴力が事件化されにくい問題と同様に、「外」の問題が「内」の中で秘匿され、家の中の「女たち」によって許されてきた問題もあるのだ。
東京オリンピックのために、この社会は何を踏みつけてきたのだろう。東日本大震災から10年経ったにもかかわらず、福島では余震に怯える日々が再び始まった。今もまだ生活を取り戻せずに疲弊している人たちがいる。原発事故のため広大な土地と家を奪われた私の知人は鬱になり、今は連絡が取れなくなってしまった。
JOC前会長の竹田恒和氏の息子である竹田恒泰氏の講演を聴いたことがある。2013年、ちょうど東京オリンピックが確定した直後のことだ。このときの様子は拙著『奥さまは愛国』で記したが、彼は生田神社で行われた講演でこう話していた。
「(オリンピックで)戦争に負けたことからの精神的復興の最後のチャンスが訪れているんです」「世界人類最大のイベントを成し遂げる。このとき、日本人の心意気が世界中に発信される。そのようにオリンピックを成功させたとき、向こう数世紀にわたる繁栄の礎が定まったことになるんじゃないですか?」
竹田氏の語る東京オリンピックは過去を忘れるためのお祭りのようだった。そこにはアスリートの姿もないし、東日本大震災で命を落とした人や、原発事故で人生を奪われた人の姿もない。竹田氏の意見が父親と同じかどうかはわからないが、オリンピックによって復興を成し遂げるということは当時から言われていたことだった。今思えば震災から2年しか経っていない中で決められたオリンピックはそもそも無理があり、そしてオリンピックで復興を遂げるという意識こそが間違いだったのではないか。
東京オリンピックのための予算、そこから得られる収益は莫大なものだという。“おじいちゃんの秘密”はもしかしたら、私たちが想像する以上に黒い。そんなことをいまだに地震への不安が続き、そしてパンデミックに拘束されている今、強く思う。東京オリンピックは中止にするべきだと、私は今回の森氏の発言、そして「おじいちゃん(森氏)はみんなのおじいちゃんと同じ」という孫発言で改めて確信する。
■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表