作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、森喜朗氏に、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の会長辞任を決意させたという孫娘の発言の意味について。
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森喜朗氏が性差別発言を撤回し、最終的に辞任を決めたのは、孫娘の提言だったことが報じられている。先日は週刊誌で孫娘の女性がインタビューに答え、「ごく普通のおじいちゃん」「みなさんのお父さんやおじいちゃんと同じだと思います」と話していた。おじいちゃんだからジェンダーのことも分からないけれど、家族には性差別しない本当にいいおじいちゃんなんです、という孫娘の発言にどれほどの価値が?と思うが、結局森氏は、世論による批判ではなく、“おじいちゃん、これ以上無理しないで”という家族内女性からの声で、辞任を決断できたということらしい。
私たちには、“おじいちゃん問題”がある。
ずいぶん前のことだが、かつての戦地に残された日本軍人の遺骨収集のボランティアをする女性と話す機会があった。会話のなかで戦時性暴力について語ったが、話は一向に深まらず、その理由を彼女がこう言ったことを覚えている。「レイプをしていないのにレイプしたと言われて泣くおじいさんがいて、レイプされたと泣いているおばあさんがいる」。だから彼女は、レイプをしたと言われて泣くおじいさん側に立つのだと言うのだった。また別の機会に、「慰安婦」女性たちの声を忘れないという抗議のデモに参加したときのこと。路上でゴスロリの服を着た若い女性が身を折るようにしてこう叫んでいた。「私のおじいちゃんは、やってない!!!」。その叫びは、隣でへらへらと笑いながら「うーそつきの売春婦」と楽しそうに声をあげる人たちとはまるで違っていた。
“日本のおじいちゃん”は、ずっと家族に「秘密」を抱えていた。朝鮮人を虐殺し、中国人を虐殺し、捕虜を虐殺し、女性たちをレイプしても、それを「戦争とはそういうものだから」「みんな同じだったのだから」「仕方なかったのだから」と封じ、それは決して家族の中で語られることはなかった。上層部から竹槍で中国人を殺すことを強いられ、「男なのだから」と「買春」を強いられる日本軍人の男性の多くは、それらを語ることはできかった。
本当は語りたかったのかもしれないが、子どもや孫たちが、お父さんやおじいちゃんの戦地での体験にどれほど向き合おうとしただろうか。話すにも聞くにも、あまりにも過酷な体験。お父さんやおじいちゃんはずっと秘密を抱えたまま、戦後、日本が経済発展し、豊かになることで忘れることを選んだのだ。