同年5月15日、阿部はコロナ禍で社会不安が広がるなか、那覇市役所前のヘイトスピーチ街宣がますます悪質化していることを報じた。レイシストによる「今入国しているチャイニーズは歩く生物兵器かもしれない」といったヘイト発言を取り上げ、それが暴力を誘発するのではないかと訴える内容だった。
「記事を読んで、これ以上の被害を放置できないと思った」
高野はそう振り返る。ヘイトスピーチとは下品で乱暴な言葉遣いを意味するものではない。社会的力関係を利用して、抗弁不可能な属性を差別し、扇動することだ。つまり、ヘイトスピーチが発せられた瞬間から、マイノリティーや地域は「被害」を受けることになる。危機感をもった高野は、ツイッターでカウンターを呼びかけた。
いま、那覇市内はもとより、県内各地から多くの人が毎週水曜になると市役所前に集まり、カウンターに参加するようになった。
そして、そこには必ず阿部の姿がある。
私が沖縄を訪ねた夏の日も、阿部は市役所前のガジュマルの木の下で、カウンターの人々と談笑していた。まるで大昔からそこにいたかのように、風景の中に溶け込んでいた。
私は阿部という人間の立ち位置を見たような気がした。
幸い、レイシストの姿はなかった。拡大する一方の抗議活動に恐れをなしたのか、レイシストは定例街宣を中止せざるを得なくなっていた。
それでも人々は市役所前に足を運ぶ。
「ヘイトに反対する人たちがここにいるのだと、知ってもらうことも大事ですから」
高野はたとえレイシストが姿を見せなくても「ここにいる」必要性を理解している。それが壊れそうな「地域」を元通りにする力になるのだと信じている。
南国の強烈な陽射しが降り注ぐ昼時。わずかに日除けの役割を果たすガジュマルの木陰で、私は阿部に問うた。
なぜ、ここに立ち続けるのか――。
少しの沈黙の後に、彼は「本気で(ヘイトを)止めたいから」だと答えた。
「書きたい」のではなく「止めたい」。その言葉に、記者としての軌跡が浮かび上がる。