昭和24(1949)年でも記事数は多くはないが、<天皇御一家のこのごろ(本社記者座談会)>(1月2・9日合併号)では、東京裁判と昭和天皇の留位、退位問題についてざっくばらんに朝日新聞の担当記者が語り、<皇太子の教育を注目>(昭和25年10月1日号)など皇位継承者である皇太子の教育問題を報じている。

 昭和27(1952)年には、明仁親王(上皇さま)が18歳の成年を迎えるとともに立太子の礼が執り行われた。この時期になると本社記者による<そこが聞きたい この頃の皇太子さま>の座談会シリーズが定期的に掲載される。小金井の学習院中等科の寮生活時代に、学友が皇太子に対して<このごろわがままで仕方がないといって林の中に連れて行き、気合かけたことがあるそうだ。(笑)><新聞記者は嫌い>、英語についても<スピーキングはあまりおとくいではないらしい>など、内緒話がほほえましい。

 明仁皇太子のお妃選びに正田美智子さん(上皇后さま)が登場すると新聞、テレビ、週刊誌を問わず報道は過熱した。昭和33(1958)年12月7日号では、宮内庁の婚約内定発表を前に、報道陣が正田家を取り囲む様子を、<池田山はてんやわんや 正田家のこの一カ月>として掲載した。当時の混乱ぶりがよくわかる。

<テレビのカメラが隣家の二階に備えつけられた。(略)正田家では、窓という窓には全部、たえず、カーテンをおろさねばならなくなった(略)ヘリコプターも上空を飛びまわった。(略)午前十時ごろ美智子さんとお母さんは玄関を出た。だが自動車が動き出すと十二、三台もの車が後を追う。赤信号でストップすると、とびおりて横からシャッターを切る。ドアをあけようとするカメラマンも出たため、二人は恐怖におびえてしまった>

 翌34(1959)年4月10日にお二人のご成婚の儀が執り行われた。週刊朝日御成婚記念特別号の表紙を飾ったのは、日本を代表する洋画家である小磯良平氏による美智子さまの肖像画だ。婚約間もない1958年12月10日。小磯氏は、朝日新聞社の依頼で肖像画を描くために正田家を訪れていた。

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