本誌「週刊朝日」が創刊されたのは1922(大正11)年2月25日。その4年後には大正天皇が崩御し、昭和が始まった。99年の歴史を振り返ると、今ではあり得ないような貴重な皇室報道の記録がぎっしり。本誌が報じた大正、昭和、平成、令和の皇室とは?
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創刊号の大正11年2月25日号は、東宮時代の昭和天皇がスキーに初挑戦した記事ではじまった。
茶色く変色した創刊号の定価は、1部10銭。
崩れ落ちそうな表紙を慎重にめくってゆくと10ページ目に最初の皇室記事を見つけた。
<スキーを御試乗遊ばされし 東宮の英姿を拝して 男爵 稲田昌植>
本誌第1号の皇室記事を執筆した人物は、スキーの練習相手を務めた男爵であった。
<七千万の国民が無限の敬愛を捧げつつある東宮殿下には此の日富士山麓に於て、初めてスキーの御練習を遊ばされた──>
天皇制を研究する、名古屋大学大学院の河西秀哉准教授はこんな印象を受けた。
「記事を読み進めると、当時の東宮殿下(昭和天皇)は英国の上流階級のスポーツである乗馬やゴルフ、テニスもたしなむと書いており、新しい皇室像をアピールしようという思いを感じます」
英王室に対する手厚い報道が続くのも、この時代ならではの特徴だ。この年4月に英皇太子が来日すると、摂政宮(のちの昭和天皇)が騎乗で閲兵する写真が表紙を飾り、グラビアや本誌で何号にもわたり特集を組んだ。
英皇太子に週刊朝日を寄贈した際にもらった感謝状は、1ページ目に大きく掲載。
「それまで日本の皇室がお手本にしてきたドイツ皇室は、4年前の大正7(1918)年に皇帝の廃位をもって消滅。日本は、皇室の手本を英国王室にしたばかりのタイミングで、国をあげて英国王室を歓迎する当時の熱気が伝わる誌面です」(河西准教授)
大正天皇と貞明皇后、摂政宮や次男淳宮(秩父宮)、光宮(高松宮)、澄宮(三笠宮)をはじめとする天皇一家に対しては、かしこまった報道をする一方で、宮家の特集は、ぐっと国民に寄った誌面になっている。