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 病気災害、自死などで親を亡くした遺児の進学を支えているあしなが育英会。東日本大震災でも、震災発生直後から親をなくした遺児への支援を積極的に取り組んできた。支援の拠点である東北レインボーハウスで所長を務めているのが西田正弘さんだ。書籍『お空から、ちゃんと見ててね。―作文集・東日本大震災遺児たちの10年』(あしなが育英会・編)に寄せた西田さんの手記を紹介する。

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 東日本大震災遺児支援は、1995年1月17日に起こった阪神・淡路大震災にその出発点をもつ。

 私たちあしなが育英会は、573人の震災遺児たちと向き合うことになった。私自身も12歳の時父親を交通事故でなくした遺児であり、仕事として多くの遺児と触れ合ってきたが、阪神・淡路大震災の震災遺児の体験は想像を絶するものだった。

 のちに「黒い虹」と呼ばれるようになった1枚の絵がある。緑と青と黄色だけで描かれた虹が青空ではなく黒く塗られた夜空にかかっている。かっちゃんという男の子が1995年の夏休みに行われた海のつどいで描いたものだ。一家8人が生き埋めとなり彼は9時間後、最後に救出された。

 あしなが育英会は震災直後から「激励募金」支援をはじめ様々なサポート活動を行いつつ、支援の拠点として1999年に神戸市東灘区に最初のレインボーハウスを建設した。その命名には、かっちゃんをはじめとする573人の震災遺児たちに七色の虹を取り戻したいという願いが込められたものだった。

■言葉に尽くせない遺児たちの体験

 2006年には、急増するがん遺児や自死(自殺)遺児へのサポートの全国拠点として東京都日野市に「あしながレインボーハウス」を建設した。連休に開催する宿泊のつどいを柱にして年を重ねるごとに北海道や東北、九州からも参加者が集まるようになっていた。

 その中で仙台の参加者から、「地元でプログラムを開催できないか」との声が上がる。自死遺族支援で本会とのつながりのできていた「仙台グリーフケア研究会」が主体となって、本会もノウハウを伝え、2010年12月23日に記念すべき1回目のプログラムを開催。2回目は、春休みを利用して翌11年3月としていた。

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そこに、東日本大震災が…