子どもたちは一人で遊ぶか誰かと一緒に遊ぶかを自分で決める。どこで何をするかも自分で決める。
そしてそんな子どもたちに寄り添うのがファシリテーターだ。
ファシリテーターとはfacilitator、動詞のfacilitate=make it easy、「やりやすくする」という意味からきている。つまり、ファシリテーターとは「遊びたいこと」をやりやすくする、「じっとしていること」をやりやすくする、「火山の部屋で爆発すること」もやりやすくする人をいう。主導権は子どもにもたせ、よけいなことを言わず、求められない限りアドバイスもしない。そばにいる、一緒に遊ぶ、「あのね」と言って来たら「なあに」と応答する存在である。
またすべてのプログラムの核ともいえるのが「おはなしの時間」で、季節ごとに工夫されたテーマに沿いながら「自分の今の気持ちに丁寧にふれる時間」を過ごす。しかし「言いたくないことはパスできる」というルールがあり無理強いはしない。安心・安全が壊れてしまうからだ。
死別経験とともに生きている子どもたちの様々な思い(グリーフ)は、現在進行形で日々成長とともに変化していく。グリーフは誰かが代わることができない。本人が「丁寧に触れ扱う力」をつけていくしかない。そのため時間がかかる。だが応答する人がいると「あのね」という機会が増える。仲間がいれば「ひとりではない」心強さが「時間をかけていく」こともできる力になる。
それが神戸、東京、東北と26年かけて、積み上げ掘り下げ持続してきたレインボーハウスだ。この作文集にある小学生から社会人までの作文は、レインボーハウスで生まれたもの、レインボーハウスで経験した関わりの中から紡ぎだされた結晶だと思う。
2020年、新型コロナウイルスが日本と世界を混乱の渦に陥おとしいれている。多くの人々がなくなり、様々な影響から自殺に追い込まれる人も急増している。親をなくす子どもたちも日々増え続けている。東日本大震災遺児支援を続けながらレインボーハウス活動を今後どのように展開するか、新しい課題が表れつつある。(文/あしなが育英会・西田正弘)