前作の「麒麟がくる」においても、いくつもの「バディ」が存在した。前半では主人公・明智光秀と斎藤道三、後半では光秀と織田信長、さらには信長と帰蝶という組み合わせもあり、タイプの違うふたりが物語を動かしていくところが視聴者を惹きつけたのである。
ただ、バディならなんでもいいわけではない。光秀には、駒や菊丸、望月東庵といった味方もいたが、この3人は架空かつマイナーなキャラクター。そこで史実を回しすぎると、視聴者を興ざめさせることになる。もちろん、実在したメジャーなキャラクターが必ずしもドラマのように史実を回したわけではないとはいえ、説得力が違ってくるのだ。
主人公の渋沢が活躍できるに越したことはないが、前半はあくまで歴史の表舞台には慶喜を立てておくほうがよいのではないか。
その点、参考になるのが、2008年の「篤姫」だろう。平均視聴率は21世紀の大河でトップ。数字が取りにくいとされる幕末ものでも「勝海舟」(1974年)を抜いて歴代1位の作品だ。
このときも主人公の篤姫はややなじみのうすい人物だったが、薩摩つながりで西郷や大久保利通、小松帯刀などを出し、特に小松に関しては篤姫との悲恋的な関係性を描いた。また、江戸に嫁いでからは、夫となった徳川家定を謎めいた設定にして、こちらにも悲恋的要素を盛り込む。小松や家定がバディとなることで、女性の篤姫が歴史に関わることの説得力も増したのである。
その重要な3人を演じた宮崎あおい、瑛太(現・永山瑛太)、堺雅人の芝居も出色だった。「篤姫」の成功はこの3人のよるところが大きい。また、スタート時22歳だった宮崎は大河史上最年少の主役。若ければ若いほど、よきバディの存在がドラマにみずみずしい魅力を吹き込むのだろう。
そういう意味で「青天」の吉沢も、平成生まれ初の大河主役。同じ27歳(スタート時)で大河の主役を務めた男性の俳優には、平均視聴率歴代トップの大ヒット作「独眼竜政宗」(1987年)の渡辺謙がいて、両者には年齢以外にも共通点がある。それは朝ドラでヒロインの夫や親友の役を演じたあと、ステップアップしたところだ。