ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は、女優以外の名前が覚えられないことについて。
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テニス仲間の庭の紅梅が満開になり、招かれて花見をした。梅は香りがいいし、メジロがよく来るから、わたしは桜より好きだ。うちの庭にも梅の木があって、去年はバケツ一杯の実が採れた。
爺(じい)さんばかり五人の花見だから、酒がまわると、みながよく喋(しゃべ)る。ひとりが「あれ、誰やったかな」といいだした。
「こないだ終わったNHKの大河ドラマに出てた。漫才師や。小そうて、眼がくりっとしてる」
くりくり眼の小柄な漫才師──。わたしは考えた。今くるよか……。ちがう。小柄には見えない。
「そのドラマて『麒麟がくる』やな」誰かが訊(き)いた。「そう。そうやった」「漫才のコンビ名はなんや」「分からん」「ほかにヒントは」「去年、結婚した」「そら結婚ぐらいするやろ」「ほかのNHKの番組にも出てる」「どんな」「めちゃくちゃ頭の大きい子が出てる。着ぐるみの」「『チコちゃん』か」「そうかな」「分かった。『ナイナイ』のO村やろ」「おう、そうや。O村や」
酔った爺さんたちの話は行きつ戻りつ迷走する。名前が出るまでに一分はかかったが、誰もO村のフルネームは知らなかった──。
五十歳をすぎたあたりからか、わたしはひとの名前が“まだら惚け”はじめた。新しく仕事で会った編集者の名前は必ずといっていいほど忘れるし、もちろん顔も忘れるから、パーティー会場などで話しかけられると愛想はするが、相手の正体はまるで分かっていない。その症状が近年ますますひどくなってきたから、それではならじと、映画DVD(最近はネットフリックス)を観(み)るとき、俳優の名前を憶(おぼ)えようと、そばにタブレットを置いて検索しているのだが、何度検索しても次に観るときは名前の出てこない俳優がいる。特にアクション系B級映画の主演俳優がひどい。スティーブン・セガール、ニコラス・ケイジ、ジェイソン・ステイサムあたりがそうだ。ブルース・ウィリスもたまに忘れる。いつも同じような役柄だから印象に残らず、顔を見ても名前を憶えようとしない脳内機制が働くのかもしれない。