「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害のある子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出会った江利川ちひろさんが、その大切さや日本での課題を伝えます。
■この家族でよかったと思える
はじめまして。江利川ちひろと申します。
我が家には2006年生まれの双子の姉妹と年子の弟がおり、3人とも妊娠8カ月で生まれたため、2人に脳性まひという障害があります。ひとりは寝たきりの子、もうひとりはやっと歩ける程度の子……。
こう書くと、とても不幸な家に映るでしょうか?
でも実は、全くそんなことはないのです。
夫とともに子どもたちの障害と向き合うことになってから15年。誰よりも事実を受け入れることができなかった私が、育児の記録を皆さまに伝えようと思える程に強くなり、この家族で良かったと心から思うようになりました。今の私にとって、寝たきりであっても長女の笑顔は何よりの癒やしであり、この子にもちゃんと喜怒哀楽が存在しているのだと伝わるたびに、育てていく自信のようなものが湧きます。
もちろん、初めからこうだったのではなく、私にも「この子は生きていたらかわいそう」と本気で思っていた時期がありました。
■私の家族を紹介します
長女の闘病中の第3子の妊娠発覚、障害児が二人になってしまった時の衝撃、知的に遅れがなくても足が不自由な息子を受け入れて下さる幼稚園が見つからなかった頃のこと、どうしても息子に教育を受けさせたくて、日本から脱出してハワイ州のプリスクールに入れたこと、ハワイで触れた優しさと本物のインクルーシブ教育との出会い……。
当時、20代の私からは想像できないことばかりでしたが、壁に当たるたびに、人には未来を切り開く力が備わっているはずだと思いながら、やっとここまでたどり着きました。
長女のゆうは特別支援学校に通う中学2年生です。早産の後遺症により、脳にダメージを受け、PVL(脳室周囲白質軟化症)と難治性てんかんであるウエスト症候群を発症しました。重症心身障害児の認定を受け、夜間は人工呼吸器を使って生活しています。好きな食べ物はショートケーキ。我が家のアイドルです。
次女のぴぴ(本名ではないのですが、私は彼女のことをいつもこう呼んでいます)はゆうの双子の妹で、唯一の健常児です。生まれた時は3人の中で一番小さく、なかなか人工呼吸器を外すことができないくらい不安定でしたが、何とか無事にここまで育ってくれました。常に冷静で頼りになる中学2年生です。
年子の弟のコウも同じく妊娠8カ月で生まれ、PVLを発症。膝から下が不自由ですが、次女が通う一貫校の幼稚園に年中の2学期から入園し、現在は中学1年生になりました。