50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。人生の節目の70歳を超えたいま、天龍さんが伝えたいことは? 今回は「春」をテーマに、飄々と明るくつれづれに語ります。
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春と聞いて真っ先に思い出すのが、プロレス修行で行ったアメリカ、テキサス州のアマリロの風景だ。渡米した時は12月で、西部劇でおなじみのダンブルウィードがころころ転がっているだけの荒野だったが、春になると牧草が生えて辺り一面が緑で覆われるんだ。花もそこらじゅうに咲いていて、家の庭にも日本では見たこともないようなきれいな花が咲いていたことを思い出すね。
福井に住んでいた子どものころは、冬の間は雪が積もっていて、道を歩くにも不安定で歩きづらかったのが、春になると大地を踏みしめて歩くことができる。その雪解けの大地を踏みしめて歩くとき、春が来たことや自然の力強さを感じてね、子どもの頃でも無上の喜びがあったね。
俺の実家は農家で、春になると田んぼに水を張るんだが、これがまったやっかいなんだよ。なぜかというと、当時は春になって雪解け水が山からおりてくると、周辺の農家の間で田んぼの水の取り合いになるんだ。山に近い川上の田んぼは自分のところに早く水がほしいから川をせき止めて、早く水がたまるようにする。一方で川下の農家は川上の農家がせき止めているのを勝手に外して自分のところに水を引き込もうとしてね。そういった駆け引きがあったもんだよ。
こう言っては悪いけど、暴れん坊のおやじとか、身勝手なおやじの農家は優先的に水を引き込めるんだ。周りが怖くて何も言えないから(笑)。うちのおやじ? うちは中の上といったところかな? 結構好き勝手気ままにやっていたようだから、嶋田のおやじは放っておこうっていう感じだったみたいだよ(笑)。
それから田植えが始まるんだが、当時はみんな手植えだったから小学生の俺もかり出されて、家族総出で田植え作業だ。広い田んぼに1つずつ苗を手で植えるんだから大変だったよ! だから子どもの頃の春といえば、田んぼのわずらわしい作業の思い出が強いんだ……。