7年連続で公立(国立を除く)トップの東大合格者数を誇るまで復活したのが日比谷(東京)だ。
1964年に193人という最多記録をたたき出すなど、かつては東大合格者数ナンバーワンの座を独占。京大卒で87年にノーベル医学生理学賞を受賞した利根川進さん(81)もOBだ。
だが、都立校の学校格差を緩和するため、67年度に合格者を群内各校に機械的に振り分ける制度が始まると、東大合格者数は1桁台まで落ちた。
転機は都立高改革が始まった2001年。西などとともに進学指導重点校に指定された。03年には学区制が廃止され、以前のように都内全域から優秀な生徒が集まるようになった。05年に16年ぶりの2桁台となる14人が東大に合格。16年には44年ぶりに50人を超えた。
この状況を後押ししたのが、12年に赴任した武内彰校長だ。各教科の主任を中心とした学力意見交換会や、成績のデータベース化など数々の取り組みに着手。特に力を入れたのが、校内のコミュニケーションの「フラット化」だった。
それは教員と意見交換を重ねるだけではない。廊下で生徒と会えば自らあいさつ。時間が空いているときは校長室を開放し、いつ誰が来ても対応できるようにした。相談内容も問わない。
卒業後に慶應義塾大へ進み、現在はテレビ東京でアナウンサーを務める角谷(かどや)暁子さん(26)は、武内校長の赴任時の様子についてこう語る。
「校内を巡回する姿がとにかく印象的でした」
自身がアシスタントを務める「THE名門校」(BSテレ東)で母校を取り上げたとき、武内校長に改めて驚いた。
「高3の文化祭で出た舞台を見てくださっており、存在を覚えていただいていたんです」
武内校長の原点は、喫煙や暴力で年間90人近い退学者が出た初任校。対話を重ねることで、生徒の行動が変わることを目の当たりにした。全国有数の進学校にいる今も、当時と同じ思いで取り組む。
「生徒を引っ張るのではなく背中を押し、自ら走り出してもらうことが教員の役割です」
(本誌・松岡瑛理)
※週刊朝日 2021年3月19日号