その時は映っているモニターを見ているのではなく、モニターの中に映るべく、撮られている時なのです。つまり、自分の喋るべきことばが、突然消えてしまって、口の中に出て来なくなったのです。
夢ではありません。現実に、この寂庵であったことです。スタッフたちは、私の喉の調子が悪いのだろうと、黙って、手をとめて、私の調子の直るのを待ってくれています。それがわかっているだけに、あせりがつきあげてきて、全く、声が出て来なくなったのです。モニターの画面に、困りきった泣きだしそうな、いいえ、もう半分泣いている私の歪んだ顔が映っています。
待っていた技師が、ようやく異変を感じ、どうした、気分が悪くなったのかと訊(き)きました。それに答える声も出てきません。仕方なくうなずいて、倒れる形をして、その場をごまかしました。もちろん収録の仕事は、その時は中止するしかありません。
一応病人らしくベッドに寝かされ、気付け薬など呑(の)まされ、ひとりにしてもらいましたが、全身におそってきたのは、
「ついに、来た!」
という実感だけです。老いで仕事が出来なくなる日が、必ず来るとは、もう一年も前から覚悟していたけれど、表面には出ていないらしく、誰にいつ逢(あ)っても、
「御元気ですね」
と言われるばかりなのです。
自分の気持(きもち)も、ついこの間までと同じ調子で壮快なつもりでいます。でも、体が必死で、「そうじゃないのよ、つらいのよ!」と、叫んでいるようです。聞きたくないので、聞こえないふりをして、今まで通り、すべてをつづけようとしている自分は、何なのでしょう。
百歳まで仕事をつづけてきて、疲れが出ない人間がいたら、それこそ不気味でしょう。
私はやはり普通の人間でした。肉体も神経も、「もう、疲れたよ~!」と叫んでいます。
聞こえないふりをするのも、限界のようです。
ヨコオさん、愉(たの)しいお便りの交換も、大穴をあけないうちに、ここらでそろそろ中止にさせてもらいましょう。
活字にならない交換手紙は、わたしの臨終までつづけて下さい。
※週刊朝日 2021年3月26日号