半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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■横尾忠則「福笑いみたいな、寒山拾得みたいな顔描く」
セトウチさん
近況というか、今考えていることなど書いてみます。セトウチさんのテリトリイですが、森鴎外や夏目漱石も興味を持った寒山拾得(かんざんじっとく)を知って27、28年になります。読者のために寒山拾得について簡単に説明しておきます。寒山拾得は、唐の時代の国清寺に寒山と拾得という文殊と普賢の化身といわれるちょっと変った僧がいました。
胃腸の弱かった漱石は寒山拾得に精神と肉体のバランスの秘訣を見ていたと思います。80代の僕も自作の中に寒山拾得を探ろうとして何枚も彼等を描いてきました。80代のバランスを考えると、若い時はモダニズムは知性でしかなく、若い時の行動様式には遊びがなかったです。それに対して今は、飛びつくほど絵が描きたいとは思いません。面倒臭い方が先行して、ヘロヘロ気分で遊び半分で嫌々、描いています。それは自然や年齢をコントロールしたいということの表れかと思います。
遊びというのは、それをもてあそびたいという大それた発想です。それが僕の中の寒山拾得です。寒山拾得は狂気と正常の間のカスカスの間に存在しています。
なぜかといいますと、狂気性というものは何かに変えられなきゃ生きていけません。その中には死もあり、家族崩壊もあります。人生には病気もあります。それを何に変えるかというと、それは自然を逆算することで芸術の目を獲得することです。その狂気をコントロールする年齢の途中に死んだのが漱石さんです。まあ漱石さんの胃病の原因は金銭苦だったと思いますが。バランスを保つのは寿命を如何(いか)に受け止めるかではなく如何に克服するかではないでしょうか。女は愛嬌(あいきょう)、男は度胸、坊主はお経、明治の頃はそんな風に言っていました。筋を通すのは社会ではなく、自分でいいんです。漱石さんの生き方は明治の知性の生き方だけれど、僕は脳天気だから寒山拾得みたいに気分で動いている方が、自然だと思います。だけど周りの人は不自然になっていきます。寒山拾得は台風の目です。それがいいんです。