石井監督が誕生日を迎えたのが6月下旬。ゼロから企画を立ち上げ、自ら脚本を書いて、何と8月末にはクランクインしていた。

 撮影時までは「茜色の母の戦い」というタイトルだった。それが「攻めすぎている」という判断で「茜色に焼かれる」に変わった。

「『茜色の母の戦い』では渋すぎると言われたんです。確かにまあそうですよね。『茜色に焼かれる』でもダメだと反対されましたけどね。もっと間口の広いタイトルがほしいということでした」

 実は石井監督は映画のタイトルを付けるのが抜群に巧い。このセンスに関しては、大阪芸大時代の恩師である中島貞夫監督が太鼓判を押している。「剥き出しにっぽん」「反逆次郎の恋」「川の底からこんにちは」「ハラがコレなんで」。一体どんな映画なんだ、と観客を呼び込むパワーを持っている。

「間口の広さなんて、主観的なものですよね。タイトルはみんなの総意では決められません。最大公約数を取ると、どうしても凡庸になってしまう。タイトルに限らないけど、誰かが強引に決めて、周りを従わせない限り、おもしろいことはできないと思うんです」

「茜色」というキーワードは残った。なぜ石井監督は茜色にこだわったのか。

「作品の終盤で夕暮れの空が奇跡のような茜色になるんです。考えてみると、“茜色”と言われて、本当の色を想像できる人はあまりいないんです。黄金色をイメージしている人もいれば、朱色みたいなイメージの人もいて。実際はくすんだ色なんです。茜って、よく女性の名前になっていますよね。僕はとても精神的な言葉だと思っています。この映画は、女性の心の中で揺れ動くものが大きな要素になっています。だからどうしてもタイトルには『茜色』を入れたかった」

 この映画の主人公・田中良子は、実際の石井監督の母親をどの程度トレースしているのだろう。

「直接のモデルではありません。映画の主人公はシングルマザーで、コロナ禍によって生活が困窮するという設定ですが、この部分で言えば僕の母親とは重なりはありません。でも、母親の生き方や考え方はものすごくダイレクトに反映させたつもりです」

 母親の配役はこれまでの石井作品の中でも最も重要な位置を占めることになると思われる。石井監督が選んだのは尾野真千子。2015年の連続ドラマ「おかしの家」ではヒロインを演じている。

「尾野さんのキャスティングは、僕の強い思いによるものです。なぜだったのでしょうかね……。なんていうか、ウチの母親は素っ頓狂な部分がありましたが、尾野さんの人となりが母親にすごく似ている気がしたんです。つまり、まるで実体がないというか、どこに本音があるのか分からないようなところが、ね。僕が7歳の時に亡くなっていますから、7歳の頭で認識していた母親の像に、尾野さんがすごく近いんじゃないかと思うんですよね」

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石井監督が著書で書いていたこと…