「自分は普通の結婚の幸せを保証してあげられない。皇太子という特別な立場にあっていちばん大事なのは公の義務であって私事はその次の問題である」
皇室を担う立場として「公」を第一に考えた厳しい決意。一方で、帝王学だけを学んでいても国民と価値観が乖離(かいり)しかねないという危機感を抱いていたようだ。明石さんは、明仁皇太子のこんな言葉を幾度も聞いた。
「人の気持ちを分かるようになるためには、普通の結婚をして、人と同じ暮らしをしなければだめだ」
上皇ご夫妻の結婚から60年以上が過ぎて、皇室は大きく変わった。たとえば、学校だ。1877(明治10)年に華族のための学校として明治天皇、皇后の臨席のもと開校した学習院に通うのが皇族の「常識」であった。
しかし、平成に入ると早稲田大学や国際基督教大学(ICU)、お茶の水女子大附属小中学校など、個性に合う環境を求めてさまざまに選択を広げていった。女性皇族も公務以外の勤務をこなし、価値観や交流の場を広げた。
「皇室が国民の考えを理解し寄り添うのはいい。しかし肝心なのは、理解することによって、何が生み出されるのか、です。皇室の人間としての立場や取るべき行動は一般の人たちとは異なります。きゅう屈な皇室を出て、一般の人たちと同じ生活を、ただ喜んでいるだけでは皇族としての務めは果たせません」(明石さん)
先の小泉信三は皇室の役割について、「民心融和の中心」だと説いた。皇室のメンバーには、そうした自覚が必要だと明石さんは話す。
海外の王室も日本の皇室も時の権力や政治、そして外交に利用され、翻弄(ほんろう)されながらも国民に対して誠実さを示し、互いの信頼関係を築くことで存続してきた。
そのためには『無私であれ』、『私』よりも国民の幸せを願った生き方への覚悟が必要だ。だが、それを若い世代の皇族方に望むのは酷であり、不可能な時代になった、と明石さんは言う。「公」を優先させる皇室で、生きよと望んだところで、矛盾しか生じない。