「自分から親に『剣道を習いたい!』と言って、剣道の稽古はそれなりに楽しかったですが、学校では、居場所のない感じが続いていました。休み時間はずーっと図書室で過ごしていたけれど、本が好きというより、図書室に行けば誰でも座れる椅子が並んでいることがありがたかった。教室にいて誰とも話さないでいると、“ひとりが好きなヤツ”っていうレッテルを貼られてしまうけれど、図書室で本を読んでいれば、別にひとりでいてもヘンじゃないじゃないですか」

 親に「将来は俳優になりたい」とは伝えなかった。北海道では、有名な芸能事務所や劇団があるわけでも、オーディションがあるわけでもなかったので、「とにかく東京に出る!」というのが10代の頃の目標だった。

「浪人までして上京したのに、劇団を立ち上げたり、ネットの公開オーディションを受けたりして、すぐ学校に行かなくなりました。退学を決めたとき、親は泣いていました」

 21歳のとき、松田美由紀さんが代表取締役を務める「オフィス作」のワークショップオーディションを経て、事務所所属となった。「でも、そこから5~6年は鳴かず飛ばずでしたね」と淡々とした口ぶりで、でもどこか恥ずかしそうに話す。

「憧れの俳優への切符は手に入れたものの、オーディションになかなか受からず、『どうしたら活躍できるんだろう』って焦ってばかりいました。先が見えない感覚にどっぷり浸かっている感じで苦しかったですが、今になってみれば、当時の自分がオーディションに落ちていた理由がよくわかるんです。しかるべき努力をしてなくて、しかるべき技術も身についていない若造に、仕事なんか来るはずがない」

 でも、内心では根拠のない自信もあった。

「それだけはブレなかったですね。オーディションを受けるたびに、『俺にチャンスさえくれれば! 絶対やってやるのに!』みたいな(笑)。そんなくすぶっていた僕にとって、一番の転機となった作品が、『his』でした。同性愛者でありながら、結婚もして子供もいる役を演じたのですが、初めての大役で、初めて人に演技を認めてもらえた実感があって」

 とはいえ、撮影した順序としては、「his」よりも前にこの「のさりの島」があった。不思議なのは、「のさりの島」のラストシーンで登場した、地元に住むエキストラの子供たちが、マスクをつけていたことだ。

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