

「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害を持つ子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出会った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。
■告知を受けるということ
子どもに重篤な病があるとわかったとき、両親は自分の病気の告知と同じくらい、深いショックを受けます。そして、多くの場合、立ち直る時間も病気に対する知識もないまま、子どもの疾患と向き合っていくことになります。
私自身、はじめのうちは、長女の疾患や障害を受け入れることができず、深い絶望の中にいました。今回は、長女の病気の告知を受けた時の話です。
双子の娘は、予定日より3カ月程早く生まれて来ました。それでも、少しずつではありますが、保育器の中で順調に大きくなってくれました。
当時の私は、生まれつきの大病は出生後すぐにわかるものだと思っており、我が家の子どもたちは現代の新生児医療のおかげで助かったつもりでいました。
■面会時間いっぱいまで抱ける幸せ
生後9週目。二人はようやく保育器を卒業してGCU(NICUからの継続保育室)へ移ることができたものの、次女は酸素を切ったとたんに呼吸が安定しなくなり、その日のうちにNICUへ戻ってしまいました。肌着を着て赤ちゃんらしくなった長女と、再びおむつ1枚で保育器に入った次女。生まれた時の状況が脳裏によみがえり、次女が心配でたまりませんでした。
長女はベッドに移ってからも大きな問題はありませんでした。
看護師さんから「さすがお姉ちゃん」と褒められ、保育器を出たことで抱っこの時間制限もなくなりました。面会時間いっぱいまで抱けることが、とても幸せでした。
その翌週には次女の状態も安定し、二人揃ってMRI検査を受けることになりました。
「この病院では、1500g未満で生まれた赤ちゃんは、全員、頭のMRIを撮ることになっています。無事に済めば、いよいよ退院ですよ」