哲学者 内田樹
哲学者 内田樹
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 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。

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 ワクチン接種の案内がうちにも届いた。かかりつけの病院に電話をしたら、予約に来てくださいと言われた。歩いて5分の病院の待合室で1時間ほど待って予約を済ませた。1回目の接種が7月19日、2回目が8月9日。「電話がつながらない。ネット予約がすぐに埋まる」という泣訴をネットで読んでいたので、心配していたのだけれど、予約までは簡単に済んだ。

 私の2回目の接種日は東京五輪(が開催された場合)の全競技日程終了の翌日に当たる。

 このペースだと、ワクチン接種が人口の6~7割に達して集団免疫の獲得が期待できるのは、早くても年末、遅ければ来年になるだろう。

 日本にとって最優先の課題は感染の収束である。国民の健康と経済活動の再開を本気で配慮するなら、感染を拡大するような行為については最大限抑制的であるべきである。そんな理屈は子どもでもわかる。

 五輪開催まで2カ月を切った今も日本各地は緊急事態宣言下にある。日本の感染状況を憂慮した米国政府は5月24日に日本を「渡航中止」国に指定した。米国のCDC(疾病対策センター)はワクチン接種済みでも変異ウイルスに感染するリスクがあることを重く見たのである。

 緊急事態宣言は解除されず、米国から渡航中止国に指定されたにもかかわらず、この原稿を書いている時点(5月27日)ではIOC(国際オリンピック委員会)も政府も組織委も五輪中止を告げる気配がない。なぜ、感染リスクを確実に増大させるイベントの開催に当事者たちはこれほど固執するのか。誰か合理的な理由を教えて欲しい。

 たしかに参加者がしばしば命を落とす危険な祭事は世界中に存在する。仮に祭事でいくたりかの死者が出ても、その儀礼によって集団が固く結びつけられるなら、算盤(そろばん)勘定は黒字になるということは経験的にはあるのかも知れない。よその祭事なら、私も口ははさまない。

 しかし、五輪憲章は五輪を「スポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するもの」と定義している。「生き方の創造を探求する」イベントで死者を出した時にはどういう言い訳があり得るのだろう。

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

AERA 2021年6月7日号