2003年9月、嵜本はガンバ大阪の強化部長に呼び出され、クラブハウスの会議室に向かった。02年に開催されたFIFA日韓ワールドカップの残り火でサッカー人気に沸いていた時期。入団3年目の嵜本は試合出場がまだ4試合だったが、同じMFの中田英寿や中村俊輔のような選手を目指し懸命に技を磨いていた。大好きなガンバでサッカーができることに至福を感じ、未来への希望に満ちあふれていた。部屋に入ると、強化部長が無機質な表情で口を開いた。

「君は来季から戦力外です。サッカーを続けたければ自分でチームを探してください。以上」

■プロ3年でクビは当然 当時は他責の塊だった

 その間ほんの2、3分。刹那、目の前に真っ黒なシャッターがガシャリと下りた気がした。自分の存在価値が、指先からするりと抜け落ちる。

 戦力外通告を受けても、シーズンが終わるまでは所属したまま。しかし紅白戦にも出してもらえず、仲間の気遣いもつらかった。嵜本は言う。
「戦力外通告から退団までの3カ月間は針の筵(むしろ)。もちろん、移籍チームを探すための練習と自分に言い聞かせていましたが、心は千々に乱れていた」

 21歳の青年にはあまりにも過酷な現実だった。

 しかしこの経験が現在の嵜本を作り上げているのも事実。嵜本は、起業家としての成功をどんなに称えられようと、危機意識を忘れることはない。そして謙虚。若手経営者にありがちな尖ったところはなく、自分の考えを言う前にまずは他人の話に耳を傾ける。嵜本と家族ぐるみの付き合いをしているセルソース社長の裙本理人(つまもとまさと)(38)は、経営者として基本的な考えが似ていると語る。裙本もまた、再生医療関連のバイオベンチャーを立ち上げ、創業4年目でマザーズに上場を果たした。

「僕らは、社会問題を解決することをテーマにしない限り、会社は成長しないと考えています。そうすればおのずと売り上げもついてくる。嵜本がこれからやろうとしているのはまさにそこ。そのためには既存のものを手放すこともいとわない」

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