報道では、看護師は防護服を着て何時間も働くので、トイレに行くこともままならずオムツをつけて働いている人がいると報じられていました。そういう人のことを考えたら、「オリンピックをやろう」という発想はできないはずです。

――「声」には、「賠償金を払わねばならないのなら払えばいい。経済は取り戻せても、人の命は取り戻せないのだ」と書かれていました。

 余計なことにずいぶんとお金をつぎ込んでいますよね。布マスクを配布するだけで約260億円を使ったのだから、賠償金を払えばよい。いくら日本のコロナ死者数は少ないと言われていても、すでに1万4千人以上が死んでいる。オリンピックを開催したために例え1人でも死んだら、その人の命は戻ってこない。そういう命の重さがすごく軽く見られているように思うのです。

――菅首相はG7サミットで「安全安心な大会を実現する」と訴え、五輪は開催される方向に向かっています。

「安全安心」の医学的根拠がどこにあるのでしょうか。開催してしまえばどうにかなるという発想と、中止したら自分がどれだけ損をするかを考えているのでしょう。「日本は大丈夫」みたいな精神論を言われても、ウイルスはそんなこと、聞いてくれません。
 
 戦争の時とちっとも変わっていない。ここまで来たらやめられないから体当たり。科学的な判断ではなく、神頼みに近いです。神風が吹くとでも思っているかのように見えます。悲惨な結果になったら、日本では個人の責任ではなく、みんなが悪いという話になる。でも、今回のコロナ禍での五輪開催に関しては、反対が多いことがはっきりしています。

――大手メディアが東京五輪のスポンサーになっていることをどう思いますか。

 客観的に判断しなければいけない立場であるマスメディアがスポンサーになるのは間違っていると思います。しかも主要な大新聞がみんななっている。

 「声」掲載の翌日、夕刊の「素粒子」で、僕の投稿に対して「胸のすく思い」と書いて頂きました。仲の良い編集者がそれを読み、「それで終わっちゃだめでしょ」と言っていました(笑)。「胸がすく」のなら、次は自分が何かしてください。大新聞はそういうところがありますよね。人に言わせて、この人の意見は載せましたからという姿勢。朝日新聞は社説で中止を訴えましたが、それ以後、他紙も含めて新聞としての主張があまりないですよね。文句がある時は誰かに言わせる。この人に頼んだら多分こういうことを書いてくれるだろうと。もうちょっとやれることがあるような気がします。

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反対できないような空気、すごく嫌