教団にのめり込んでいった母に従っていた娘、という構図は逆転して、教団から距離を置こうという母親を美保さんが説得するという関係になっていた。
一方、その頃の兄は教団の教えの矛盾点や間違い、トラブルになった件などを徹底的に調べて、母を説得して脱会する方向に向かっていた。気が付けば、美保さんVS母&兄という対立構造になっていて、美保さんは、宗教を取るか、家族を取るか究極の選択を迫られることになる。
「脱会へ傾いた母に対して教団は態度を一変させ、徹底的に冷徹になりました。でも、その異様な豹変ぶりのおかげで、私も冷静さを取り戻すことができました。あれだけ熱心な信者だった母をやすやすと切り捨てようとする教団とは一体何なのか、という不信感がどんどん膨らんでいきました。そこで、心のどこかで教団を“信じ切れていなかった”自分は間違ってなかったんだと気づくことができて、むしろ気が晴れたというかとてもスッキリしました」
こうして、美保さんが22歳の時に家族は全員脱会した。
だが、それで家族がハッピーになれたわけではない。それまで別居中だった父親からは、離婚届が郵送されてきて両親は正式に離婚した。
「兄との関係は今も難しく、距離を置いています。母は自分のせいで家族が崩壊、子どもたちを深く傷付けたという罪悪感をぬぐえないようです」
美保さんの人生も脱会してからが“正念場”だった。小学5年生から学校に通っていなかった美保さんは、社会との関わりが極めて薄い生活を送っていた。1人で生きていくために、まずは仕事を探さなくてはならない。手始めに運転免許を取り、将来何かの役に立つのではと考え、調理師免許も取得した。数年間は飲食店でアルバイトをしながら、「とにかくいろんな経験をしたい」と次は生命保険会社の営業に転職した。
「いわゆる生保レディですが、同年代も多く、境遇もシングルマザーなど“訳あり”の人たちばかりで、すごく居心地がよかったんです。その中では私の体験を話してもあっさりと笑い飛ばされました。自分の中ではものすごく大きな問題だったものが、外の人たちにとってはさほど大したことではなく、笑ってくれたことが逆に救いになりました」