「教団での横のつながりもなくなった私は、とにかく神様のことだけを考えてその活動に集中しようと思いました。もう自分は外の世界では生きていけないと思い、この宗教を極めようと心に決めたんです」
全身全霊で宗教に向き合うことを決めた美保さんだったが、教団にのめり込んでいくに従って内部の“矛盾”も目につくようになった。
立場が上の信者がいうことは絶対で、少しでも教団の規律に“ふさわしくない”と判断されれば白い目で見られる。常にお互いを監視し合っているような状況だった。自分の考え、自分の感覚、自分の価値観はすべて無意味で持ってはいけないものとされていたので、美保さんは常に“自分を殺している状態”を求められ、徐々に苦痛を感じるようになったという。
「そんな状態で教えられたことをただ信じているのが本当に信仰と言えるのだろうか? という疑問が湧いてきました。何度も年配の人や偉い人に疑問をぶつけて相談してみましたが、言われることは『神のお考えは人間にはわからないのだから、学んで布教しなさい』ということだけ。私がどんな疑問を持っても『考えるな。行動しろ』と一蹴されるだけでした」
こうした疑問を持つ信者は教団のコミュニティーからは疎まれる。まるで“不満分子”のような存在となった美保さんは、その後、教団幹部から積極的に布教活動に参加していないことを理由に布教する資格を奪われ、母は子どもたちを洗礼に導けていないことを責められた。
「幸せになるために始めた宗教なのに、ただただ家族が壊れていくことに母は疲弊していました。しかも幹部の言葉でそれまで自分が行ってきたことがすべて否定されたように感じた母は、ついに『もうやめましょう』と言ったんです。でも、今思えば、私も洗脳されていたのでしょう。やめよう、という母に対して私は『これは試練なんだから、ここで負けちゃいけない!』となぜか奮起していたのです。私は20年間も信じてきたものが“うそ”だと認めるのが恐ろしかったんだと思います」