「幼稚園の行事がある時はさまざまな制約があったので、とても寂しい思いをしました。クリスマス=悪いお祝いであり、誕生日会もひな祭りも、子どもの日も七夕も“異教のお祝い”だからと禁止されていました。行事があるたびに、一人で先生に『宗教上の理由で参加できません』と言いに行くのは、怖くて恥ずかしくてたまりませんでした。特にお誕生日は自分が祝ってもらえないのはもちろん、友達を祝うこともできないので『友達におめでとうの一言も言えないの?』と問い詰められることもあって精神的にきつかったです」
小学生になっても美保さんは教団の決まりに従って、体育祭の応援合戦や校歌・国歌の斉唱、クラス委員などの投票などにも参加することはなかった。
「私が教団の教えを守っていたのは恐怖があったからです。母親に嫌われるのも怖かったし、ムチも怖かったし、何よりもいつでも自分を見ている神様に嫌われてハルマゲドンで滅ぼされるのが怖かったんです。だから嫌われないよう、まわりの顔色や空気を常に読みながら立ち回るような子どもになっていました」
同じ屋根の下で暮らしていた兄も同じような生活だった。だが内向的な性格の兄は、小学生で不登校になり、それ以降もずっと自宅に引きこもったままになった。
「そんな兄を気遣う母も、どうしていいのか分からずオロオロするばかりでした。母は家族の幸せのために宗教を始めたのに、夫は家を出て行き、息子はずっと苦しんでいることに大きなショックを受けていました。私は自分が学校に行っている間に2人が心中してしまうのではないかといつも心配でたまりませんでした。そんな不安な生活に限界が来て、小学5年生で私もまた不登校になりました」
兄の前例もあったことから、母親は美保さんも無理に登校させることはなく、結局、兄妹はそれから中高へ進学することもなく、1日も登校はしなかった。
そうなると、美保さんの居場所は必然的に家庭と教団の中だけになる。だが、教団の同年代の子どもたちとは、美保さんが学校に行かなくなったことで共通の話題がなくなり、輪の中に入って行けなくなった。