TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は50回目の命日を迎えた「ジム・モリソン」について。
* * *
ロックを愛する者なら誰もが通過する「青春の門」がザ・ドアーズである。7月3日はボーカリストで詩人のジム・モリソンの50回目の命日。
ジムは高校時代からウィリアム・バロウズ、ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグを愛読する文学少年だった。UCLAでの同級生、フランシス・F・コッポラは1979年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを獲得した『地獄の黙示録』でドアーズの『ジ・エンド』を流している。
昨年の暮れ、「村上RADIO」で村上春樹さんは『ムーンライト・ドライブ』をオンエアした(12月20日)。春樹さんがドアーズを知ったのは67年。曲は『ライト・マイ・ファイア』。
「トランジスタラジオから初めて流れてきたときには、留保なしにとことんしびれた」そして「言葉を失ってしまうくらいかっこよかった」(『村上ソングズ』)
「月まで泳いでいこう。/uh huh/潮を遡(さかのぼ)っていくんだ。/都市(まち)が身を隠して眠っている/夜を突き抜けよう。」
これは春樹さんが訳した『ムーンライト・ドライブ』冒頭の歌詞。
暇を持てあましたジム・モリソンがヴェニス・ビーチでごろごろしていたら、顔見知りのレイ・マンザレクがやってきた。ジムが『ムーンライト・ドライブ』を歌い出すと、レイが「そんなぶっとんだ歌詞は初めてだ。二人でバンドを作って大儲けしよう」と言った。そんな会話からドアーズが生まれたと番組でエピソードを教えてくれた。「歴史というのはこのように暇人たちによって何気なくあっさり作られていくのかもしれませんね」
ちなみにレイもUCLAの友達だった。
オフビートにスライドギターがなんとも気怠(けだる)い『ムーンライト・ドライブ』。この作品がドアーズのカラーを決定づけたとも言われるが、村上龍さんもこの曲を訳している。