田原:竹下さんも頑固じゃなくて柔軟性がある男。

辻元:そう。なんか“万華鏡”みたいな感じなんですよ。見る角度によって評価が変わる。橋本さんはまさに“剣道の竹刀”みたいな感じ。真っすぐな方で、真っすぐすぎて折れちゃった、という感じがしました。

田原:橋本さんの次の首相、小渕恵三さんはどうでした。

辻元:私、好きだった。

田原:自分は頭が良くないから人の言うことをしっかり聞くんだ、と話していた。

辻元:小渕さんの時は自社さ政権が崩壊した後で、こちらは野党として予算委員会などで厳しい質問をした。ところが「ありがとう」って電話がきた。私がインタビュー記事などで批判しても、お礼の電話をかけてくるんですね。

田原:“ブッチホン”だね。

辻元:日米新ガイドライン(日米防衛協力のための指針)が大問題になっていた頃、「小渕さん、国会の外には反対してる人たちもたくさん来てます。その方たちの話を聞いたらどうですか」と質問した。すると、後で電話が来て「そんなに反対の人はいるのかね、僕にはそんな声が届かないんだ」って言って、「教えてほしい」と言われた。小渕さんは外相時代、対人地雷の全面禁止条約に署名した。それまで政府はサインしなかったんですけど、大きな決断をされた。小渕さんは、学生時代に世界漫遊の旅をした経験が生きているって、私にお話しされたことがあった。旅の中でいろんな人たちの声を聞き、戦争だけは絶対だめだと感じたそうです。

田原:小渕さんが亡くなられて、森喜朗さんが首相になった。

辻元:森さんも早稲田の先輩です。でも、びっくりしたことがあった。森内閣の時、国会で与野党がものすごく激突していた。参議院の選挙区を「非拘束名簿」にする議論だったと思うんです。私たちは社民党の国会控室で「国会に出るかどうか」と緊迫した話し合いを続けていた。そうしたら携帯電話が鳴って、森首相だった。国会の事態を打開するための相談かと思ったら、「辻元君、次の日曜日の早慶戦には行くのかね? 行くなら一緒に行こう」って。まさに森さんの“真骨頂”というか……もちろんお断りしました。やがて「神の国」発言などもあって崩れた。

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