
言わずに死ねるか! 本誌の100周年記念企画として連載されたジャーナリスト、田原総一朗さんの「宰相の『通信簿』」が12月7日、『さらば総理 歴代宰相通信簿』(朝日新聞出版)として刊行される。歴代首相との国会論戦も豊富な立憲民主党の辻元清美参院議員との特別対談も新たに収録。忖度(そんたく)なしのトークを短縮版でお届けする。
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田原:辻元さんが初めて国会議員になった時の総理大臣とは。
辻元:橋本龍太郎さん。
田原:どういう首相だった?
辻元:当時、私は社民党議員で、自社さ(自民、社民、新党さきがけ)連立政権の与党でした。一番最初に予算委員会で質問した相手も、橋本さん。私は当時、NPO法(特定非営利活動促進法)を作りたいと思っていて、「橋本さん、ボランティアやったことありますか」と質問した。そうしたら橋本さんが「皇居の掃除をやったことがあります」と答えた。「威張る・怒る・すねる」なんて評されて堅物のイメージだったけど、野党にも一定の配慮があって、新しいことにも柔軟に取り組んでくれる人だった。
田原:「税制改革」を掲げた橋本さんは減税したかったけど、できなかった。当時、僕のテレビ番組でも最後まで「減税」とは言えなかったのね。
辻元:自民党は最後までNPOに税の優遇措置を認めなかったんです。そこで私は、首相経験者で税制に影響力があった竹下登さんに直談判を試みた。実はですね、竹下さんとはピースボート時代、気候変動に関する国連の国際会議でご一緒した。竹下さんは海外のNPOなどが各政府代表団と対立するのではなく、話し合う姿に驚かれ、会議に出席していたNPOなどの代表者を後日、自宅に招いたんです。そんな竹下さんならと直談判しようとした。竹下さんも私も早稲田大卒業生だから、「国会稲門会」という集まりに行ったんです。「1年生議員の辻元清美です」ってあいさつして、「NPOが……」って言った途端、私の顔を見て「税は今回はいかんよ」と一言。何でも知ってたんですよ。そして、にっこり笑って「人生誰もが『反面教師』」って言って立ち去ったんです。竹下さんは妖怪みたいな側面もあるけれども、ものすごく新しいことにもチャレンジングでした。