小川:新しい情報誌を創刊するということでスタッフが集められて、ライターをしました。でも、創刊して1、2号で休刊になっちゃって、もう解散、仕事はありませんって言われて。それで、「なんというひどい世の中なんだ。もう人の下で働くのはイヤだ。小説を書こう」と思ったんです。

林:ちゃんと書けました?

小川:いえ、そこからの10年ぐらいがつらいつらい時間でした。当時の私は業界の仕組みがよくわかっていなくて、歴史小説が好きな編集者にジャンルの違う原稿を持っていって「おもしろくない」って言われるとか、トンチンカンなことばかりやっていたと思います。ほんとにつらかったので、最後に、自分のいちばん身近な世界で、日々料理をつくりながら感じていることを物語にして、これがダメだったらあきらめようと思って。それで『食堂かたつむり』を書いたんです。

林:最後まで書けたってすごいですよ。私も大学を出て就職できなかったときに、中沢けいさんが『海を感じる時』でデビューして新人賞もとったのを見て、私も書こうと思って、書いたこともないのに書き始めたんですけど、3カ月で書けたの18枚ぐらいでしたよ。

小川:私はあきらめたらそこで終わりだったので、「粘ったで賞」みたいな気がします(笑)。誰も読むあてがない小説を書くってしんどいですよね。

林:私も編集者がいたから書けたんだと思う。編集者もいないし、締め切りもない作家志望の女の子が、手書きでやると10枚書いたらイヤになっちゃいますよ。それで、ポプラ社の小説大賞に応募したんですか。

小川:応募しましたが、途中で落ちちゃいました。でも、編集の方が手をあげてくださって、そのあと直して本になったんです。それがなければ、ぜんぜん違う人生でした。

林:そこで運命が変わったんですね。

(構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄)

小川糸(おがわ・いと)/1973年、山形県生まれ。2008年、『食堂かたつむり』でデビュー。同作は映画化され、英語をはじめ、フランス語、スペイン語、イタリア語など多言語に翻訳される。11年にイタリアのバンカレッラ賞、13年にフランスのウジェニー・ブラジエ賞を受賞。『つるかめ助産院』『ツバキ文具店』など著書多数、エッセーや絵本なども手がける。その丁寧なライフスタイルも、多くの支持を得ている。現在、『ライオンのおやつ』(ポプラ社)がドラマ化され、NHKのBSプレミアムで放映中。

>>【後編/無冠のベストセラー作家・小川糸が「あした死んでもいい」理由】へ続く

週刊朝日  2021年7月30日号より抜粋

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