東京五輪で金メダルが期待される侍ジャパン。「戦力は今大会で№1」と前評判が高いが、油断はできない。充実した戦力で臨みながら、五輪では何度も苦杯を嘗めているからだ。
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日本が金メダルを獲得したのは公開競技として行われた1984年ロサンゼルス五輪。当時は大会規定でアマチュア選手のみの出場だった。実は日本代表は代表決定戦で台湾に敗れたため、本来は五輪の出場権がなかった。ところが、80年のモスクワ五輪を西側諸国がボイコットした報復として、ソ連がロサンゼルス五輪をボイコット。同じ社会主義国で優勝候補の強豪・キューバも出場を見送ったために、日本が出場国に繰り上がった。本戦は予選リーグで韓国、ニカラグアに連勝したが、3戦目のカナダには敗れて2勝1敗で準決勝へ。元西武のエース・郭泰源擁する台湾に延長10回の末に2-1でサヨナラ勝ちを飾ると、決勝戦・米国戦は完全アウェーだったが、広澤克実が逆転適時打、3ランを放つ大活躍で6-3と快勝。大会初出場初優勝の快挙を成し遂げた。
だが、その後は競技種目として開催された6度の五輪大会で金メダルを逃している。プロ選手が出場解禁された2000年のシドニー五輪では松坂大輔、黒木知宏、松中信彦らプロ8人が参加したが、準決勝でキューバに0-3で零封負けを喫すると、3位決定戦・韓国戦も1-3で敗れる。
続く04年のアテネ五輪は「オールプロ」の豪華な陣容で長嶋茂雄監督が五輪出場権をかけた予選で指揮をふるったが、本大会前に脳梗塞で入院。ヘッドコーチの中畑清が監督になった。予選リーグを6勝1敗で勝ち抜いたが、準決勝で豪州に0-1と敗戦。3位決定戦でカナダに11-2で圧勝して銅メダルを獲得したが、選手たちは落胆の色を隠せなかった。
当時のシドニー、アテネ五輪で野球を取材していたスポーツ紙記者はこう振り返る。
「シドニー五輪は完全に力負けでした。予選リーグを突破しましたが、4勝3敗でキューバ、米国、韓国に敗れている。プロの選手たちの能力は高いですが、急造チームで勝てるほど甘くはない。金メダルの米国、銀メダルのキューバは何カ月もかけてチームを仕上げている。準備の大切さを感じましたね。アテネ五輪は豪州に予選リーグで負けていましたが、再戦したら勝てるという自信があったのでショックでした。福留孝介、高橋由伸、中村紀洋、谷佳知、小笠原道大、和田一浩と下位打線まで強打者を並べた打線でしたが、1点をどう取るかの観点でいくと機動力がなかった」