あの時全力で母を看てくれた看多機の看護師がたまに「だってお母さん、あの時死ぬと思ったから」と思い出したように笑う。私も母はあの時死ぬと思った。でも生きてくれた。きっと母はあの時自分が死んだら、私がこの先ずっと苦しむと思ったのだろう。
母の退去に続き、父も特養を退去させた。母8カ月、父10カ月の特養生活だった。父を迎えに行った日、小さな花束を担当職員に渡し「ありがとうございました。お世話になりました」と父の頭を押し一緒に礼を言った。すると介護職員から「娘さん大丈夫ですか」と言われた。
「一人で看られます」
──こんなところで死なせるもんか。
父をタクシーに乗せた。父の手は温かかった。久しぶりに見る外の世界に父は喜んでいた。遺体の引き取りじゃなくて本当によかった。あのまま二人が亡くなっていたら私はきっと一生自分を責めていただろう。
介護アドバイザーで「元気がでる介護研究所」代表の高口光子さんは、特養やデイサービスを経て、介護老人保健施設(老健)の立ち上げにも携わるなど長く高齢者施設で働いてきた。高口さんはこう話す。
「私が施設で働いていた時、ご家族にこうお尋ねして意思を確認することがありました。『もし今夜お父(母)さまがうちの施設で亡くなられたら、なんでこんなところで死なせてしまったのかとあなたは後悔しませんか』。私たちの仕事は、信頼関係の中で人生を見届ける仕事だからです。めったには聞きませんでしたが、(ご家族の)ご要望と介護の方向性が違うな、と感じた時は確認をしていました。亡くなってしまってからでは取り返しがつかないからです」
晴れて父と母を特養から出し、また介護ベッド(福祉用具貸与)などを入れて環境を整えたものの、まだこの時点では「在宅介護」とは言い難かった。というのも、父も母も看多機の「泊まり」が中心で家に帰る日数は少なかったからだ(注)。
それでも10カ月ぶりに母が家に帰った日のことはよく覚えている。
「家だぁ~!」
母はすごく大きな声を出した。
「家に帰ってきたのね。家なのね」
父と母の会話は相変わらずチグハグだったが、やっぱりこの家にはこの二人が似合う。そんな当たり前のことを思った。