
「意外なもんだねぇ」
姉と驚いた。
入居前日まで施設に入ることを強く拒んでいた父と、「仕方ないわね」と諦めていた母。母のほうがすぐになじめると思っていた。できないことを諦める潔さと、できることを単純に喜べる力が施設暮らしには求められるのだろう。
その後、このホームの食事は入居者からのクレームが多く、外注先が変わり多少おいしくなったらしい。しかし入浴は希望どおりにはいかない。特養に限らず高齢者施設での入浴は週2回、時間は3~5分ほどが一般的。食事時間も排泄(はいせつ)の誘導時間もほぼ決められており、生活のリズムは基本、受け身だ。好きな日に大好きなお風呂に何分も入り、好きな時に好きなモノを食べていた食いしん坊の母にとっては「できないことのオンパレード」の生活に圧倒されていったに違いない。
入居した8月、母の転落・転倒事故が施設から2週間の間に4回も報告があった。電話が鳴るたび、「あぁまたか」と、あきれてきた。うち数回は頭部を打撲。9月になると「お母さんが嘔吐(おうと)している。病院に連れていきますか」とフロア職員からじかに電話があった。すぐに大きな病院で診てもらった。大きな問題はなかったが、1カ月ぶりに見た母。生きることを全身で拒否しているみたいに見えた。
その年の年末。今度は父が入浴中に意識を失ったと施設から連絡があった。職員が目を離した隙のようだった。安定している父がそんなふうになるはずはない。不思議に思い、看護師とやりとりをするうちに、入所以来(5カ月間)大事な注射を打たれていなかったことが判明した。父は骨髄異形成症候群で極度の貧血をネスプという注射で対処していた。入居時にこの情報が正しく引き継がれていなかった。
その前後だったと思う。施設の看護師に言われた一言が忘れられない。
「施設でよくなることを期待しないでほしい。ここでできるのは現状維持」
今ならその言葉の意味は理解できる。施設は病院ではないからだ。でも当時は、「施設に入れれば父と母は元気になる」と強く信じていたので、その言葉は衝撃的だった。