TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。「南佳孝の世界」について。
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フィッツジェラルドと村上春樹を愛読する東京っ子が音楽を奏でたら……。その典型が南佳孝だろう。
「映画のワンシーンを思い浮かべて曲を作るんだ。映像が思い浮かばないとね。でも情念の世界まで行くとヤバい。寸止めにしておく。歌い方もボサノヴァのように、はらずに」
コンサートや演劇、絵画やファッションにしても、東京ではあらゆるものを見ることができる。
南は子供の時からそれらを眺め、ギターをつまびき創作に取り入れていった。ブラジル発祥のボサノヴァはイパネマ海岸に遊ぶ中産階級の若者たちが生み出した。
「ボサ」はポルトガル語で「やり方」、「ノヴァ」は「新しい」。都会のぼんぼんたちの音楽は世界を席巻したが、東京も同じ。日本の音楽界で彼らは後に「奇跡の世代」と呼ばれるようになった。
「ムッシュ(かまやつひろし)やトノバン(加藤和彦)がいた。ユーミンが先頭を走っていて。いつかは世間が振り向いてくれるって思っていた。親元だから生活に困らない。そんな学生のノリ。大学の英文科に入ったら、『うちで初めて文学部が出たぞ』なんて言われて」とはにかむが、彼ら奇跡の世代は芸能界という大きな壁にギター一本で立ち向かい、音楽の何もかもを変えてしまった。
「(歌謡曲やフォークは)何となく違うっていう雰囲気があった。レコードジャケットも大事なのはセンス。洗練がないと。都会なら違うアプローチがあってもいいって」
南は10歳の頃からラジオを聴いた。
「大人の雰囲気がたまらなかった。薄暗い中で耳を澄ませると、ラジオは様々な所へ連れて行ってくれる。『太陽がいっぱい』のサントラがかかるだけでいろんな風景を想像しました」
ラジオDJもこなす南だが、心がけているのは一人に語りかけること。彼の音楽もきっとそうなのだろう。