「あるとき、首都圏放送ネットワークの番組枠をどう埋めていくかというテーマで、都庁クラブの取材方針について会議があり、『特ダネ』とテーマ深掘り型の記事の、どちらに重点を置くのか、出席者に聞く時間が持たれたそうです。記者のまとめ役の立場は前者でしたが、未和は後者に手を挙げた。以降、未和が冷遇されたという話を聞きました」(守さん)

「異動が決まり、『左遷』されたという思いがあったのでしょうね。選挙取材であんなむちゃな働き方をしたのも、挽回を図ろうと無理をしたのかもしれません」(恵美子さん)

 当時、首都圏放送センターで働いていた同僚はこう説明する。

「『NHK記者は5人集まると人事の話になる』というくらい、異動は局内で関心が高い話題の一つでした。異動先は出稿本数や特ダネの本数に応じて決まります。多くの人は東京での勤務を希望する。地方局に行くことは『飛ばされる』意識が強く、神経をすり減らしながら特ダネ競争に追われることになるんです」

 両親が今も疑問に感じていることがある。

「未和の死亡推定日は24日です。前日の23日には、同僚に『局長次長への(離任)挨拶が明日に延びる』という内容のメールを送っていますが、当日、都庁に姿を見せていません。夜に首都圏放送センターの参院選の打ち上げがありましたが、こちらも不参加。25日には婚約者も都庁クラブに問い合わせの電話を入れています。異変に気づく機会が何度もありながら、なぜ職場の誰も未和の消息を確認しなかったのか」(守さん)

 両親は、未和さんが亡くなった経緯を検証し、番組として公表することをNHKに要望している。検証番組の予定などを本誌が問い合わせると、NHK広報局は「ご遺族との具体的なやり取りについては(公表を)控えさせていただきます」と回答。労働環境の改善に向けた取り組みとして記者の泊まり業務の集約や選挙事務作業の見直しなどを挙げ、「佐戸記者の過労死を決して忘れず、職員が健やかに、いきいきと活躍できる職場づくりを進めていきます」などと答えた。

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