31歳という若さでの急死を不審に思った両親は、NHKから勤務表や仕事で使っていたパソコン、タクシーの利用票などを取り寄せ、代理人弁護士と生前の労働時間を割り出す作業を始める。

 厚生労働省が定める過労死の認定基準に、「発症前1カ月間の時間外労働が100時間以上に及んだ場合」がある。

 両親と弁護士の調べでは、亡くなる直前1カ月の時間外労働は月209時間。労働基準監督署の認定でも月159時間に及んでいた。

 NHKが未和さんの死を公表したのは、労災が認定されて3年以上過ぎた17年10月だった。フリーランスの映像制作者として20年以上、NHKで働いてきた尾崎孝史さん(55)は「(亡くなった)当日夜にニュースになるような話。なぜすぐに報じられなかったのか」と疑問を抱き、100人以上の関係者に聞き取りをしたという。

「話を聞けば聞くほど、佐戸記者の死は組織によって伏せられていたと感じるようになりました」

 未和さんは1982年、3人きょうだいの長女として生まれた。好奇心が旺盛で、一橋大学の法学部時代は同じ授業の受講生とまちづくりサークルを立ち上げ、東京都国立市の小中学校に留学生を派遣する活動にも打ち込んだ。サークルの後輩だった大川佑(たすく)さん(39)はこう語る。

「豪快に笑う姿が記憶に残っています。誰にでも好かれ輪の中心にいるタイプ。当時はショートカットでテニスサークルにも所属し、活動的なイメージが強かった。亡くなったと聞いて信じられませんでした」

 大学時代はBSラジオ局「BSアカデミア」の学生メンバーとして、番組制作にもかかわった。メディアの仕事に関心を持ち始めたのもこのころ。2005年にNHKに入った後は約5年を鹿児島で過ごし、拉致被害者の家族などを取材した。

 10年に首都圏放送センターに異動し、1年後、東京都の行政を取材する都庁クラブに配属される。メンバーは男性のベテラン記者4人と女性の未和さん1人。娘の様子が変わったのはこのころだったと両親はいう。

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