出勤時の佐戸未和さん(遺族提供)
出勤時の佐戸未和さん(遺族提供)
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ありし日の未和さん(遺族提供)
ありし日の未和さん(遺族提供)
両親に写真撮影をお願いすると、恵美子さんは「未和を真ん中に3人で」と言った
両親に写真撮影をお願いすると、恵美子さんは「未和を真ん中に3人で」と言った

 今から8年前の7月、NHKで記者をしていたひとりの女性が、過労のためにこの世を去った。当時31歳。婚約者がいて、公私ともにこれからというとき、なぜ娘は人生を終えねばならなかったのか。遺族の悲しみはいまだ癒えず、疑問はなお消えない。

【写真】ありし日の佐戸未和さん

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「それじゃあ、頑張りすぎないように頑張ってね」。今年の七夕、取材を申し込んで電話を切ろうとする直前、受話器の向こうからこんな言葉が返ってきた。声の主は、佐戸恵美子さん(71)。2013年に亡くなったNHK記者、佐戸未和さんの母親だ。

 この年、首都圏放送センターに所属していた未和さんは、7月末に予定されていた横浜放送局への異動を前に、東京都議選と参院選の取材に追われていた。23日夜には異動対象者の送別会に参加し、帰路につく。亡くなったとされるのは24日。翌日夜、自宅に駆け付けた婚約者が変わり果てた姿の未和さんを見つけた。手には、仕事用の携帯電話が握られたままだった。

 当時、父・守さん(70)の仕事の関係で夫妻はブラジルのサンパウロに駐在中。夫婦で人間ドックを受けた帰り道に、電話で愛娘の死を知ったのだという。

 記者が夫妻と初めて顔を合わせたのは2年半ほど前。未和さんの死をニュースで知り、調べると同じ大学の先輩だった。キャンパスで同じ風景を見て、同じ職業を志した未和さんを他人とは思えず、19年1月、両親の講演に足を運んだ。その後、有志による未和さんの追悼集会に参加したり、佐戸家を弔問したりした。未和さんの死を知った瞬間を、恵美子さんは「今思えば皮肉なタイミングでした」と漏らす。

「小さいころから優しい子で、勉強だけではなくピアノ、習字と何をさせてものみこみが早い。わが家の『エース』でした。私は、帰国したら多忙な未和の手伝いをし、少しでも楽にしてやりたいと意気込んでいたんです。でも自分がどんなに健康でも、未和がいなければ何の意味もありません」

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