広島市中区の爆心地のすぐ近くにある世界遺産・原爆ドーム (c)朝日新聞社
広島市中区の爆心地のすぐ近くにある世界遺産・原爆ドーム (c)朝日新聞社
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クロちゃん/1976年12月10日生まれ。広島県出身。2001年4月に団長安田、HIROと「安田大サーカス」を結成。スキンヘッド、強面には似合わないソプラノボイスが特徴(撮影/写真部・小黒冴夏)
クロちゃん/1976年12月10日生まれ。広島県出身。2001年4月に団長安田、HIROと「安田大サーカス」を結成。スキンヘッド、強面には似合わないソプラノボイスが特徴(撮影/写真部・小黒冴夏)

 安田大サーカスのクロちゃんが、気になるトピックについて“真実”のみを語る連載「死ぬ前に話しておきたい恋の話」。今回のテーマは「戦争と平和」。原爆が投下された街、広島県で育ったクロちゃん。毎年「8月6日」にはSNSで原爆に関するメッセージもつぶやいている。「戦争と平和」について、クロちゃんがメディアに初めて語った。

*  *  *

 広島に原爆が投下されてから、今日で76年。広島出身のボクにとって「8月6日」は特別な日。今日だけは「戦争」や「平和」について改めて考えたいなって思う。

 思い返せば、「戦争」「平和」「原爆」などのことを学ぶ環境は、子どもの頃から、とても身近にあった。原爆ドームや平和記念資料館にも、社会科見学などでよく足を運んだしね。ただ、正直、ボクにとってこの社会科見学はつねに「怖い」時間だったといってもいいかもしれない。残された資料や写真、映像などを見るのが、けっこうつらくて「なんでこんなの見ないといけないの…」って、当時は何度も思ったりもした。

 中でも平和記念資料館に展示されている「人影の石」は特に印象に残っている。「人影の石」は、原爆の熱線によって、石段に人の影のような跡が残っている展示物。もうそこには誰もいないはずなのに、影だけが残されているという光景が、当時のボクには理解ができなかった。だからこそ、余計に恐怖を感じたのかもしれない。

「友達を一瞬にして失った」という被爆者の方々の話を聞いた時も、「もし、今のボクの友達が突然いなくなったら、どうしよう」って、自分の当時の状況を重ねたりして、悲しい気持ちになったことを覚えている。

 戦争の悲惨さ、平和のありがたさは、日本人なら、誰もが感じていることだよね。

 でも、時々、少しずつそういう意識が、みんな薄れてしまっているんじゃないかって、不安になる時もある。人は忘れていく生き物だし、リアルに戦争を体験した被爆者の方々が年々少なくなっているのは絶対影響はあるはず。

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