実は閻魔王のモデルとなったのは、「ヤマ(Yama)」という古代インドの神だ。古代インドの神話を収めた『リグ・ヴェーダ』(紀元前15世紀~同10世紀頃の成立)によれば、彼は世界で最初の人間だった。そして、世界で最初に死に、最初に「あの世」に赴いたので、冥界を支配するようになったという。

 筆者はかつて、留学生の教え子に「閻魔王とは、どこの国の出身か」と尋ねられたことがある。

「あの世」に国籍という概念があるかどうか、はなはだ疑問であるが、あえて答えるなら、彼はインド出身だ。

 だが、私たちの頭の中にある閻魔王の姿はどうだろう? 冠をかぶり、笏(しゃく)を持ち、袖の広がった服を着てはいないか。まるで中国の装いのように。

「ヤマ(Yama)」の存在はその後ヒンドゥー教に引き継がれ、仏教にも入り込んだのだ。そして漢訳されて「閻魔」と呼ばれ、中国で道教と混ざり合いながら信仰を集めるようになり、閻魔王は、古代中国の役人の姿で描かれるようになった。

 そして「あの世」と「この世」の境目には、閻魔のほかにも、亡者の罪を裁く王がいると考えられるようになる。こうして中国で生まれたのが十王信仰だった。

 かつてシルクロードの要衝として栄え、石窟(せっくつ)寺院でも知られる敦煌(中国の甘粛省)では、『預修十王経(よしゅうじゅうおうきょう)』という経典が発見されている。『預修十王経』が成立したのは唐の時代(618~907)である。それから間もない平安時代中期頃に作られた漢詩文には、この『預修十王経』の影響が見受けられる。日本の十王信仰は、すでにこの頃に出発していたといえそうだ。

 ただし、日本の古典文学に大きな影響を与えたのは、日本で作られた『地蔵十王経』のほうだといわれている。「三途の川」の伝説が日本で広まったのにも、この『地蔵十王経』が大きな役割を果たしている。『河海抄(かかいしょう)』が『地蔵十王経』の影響を受けているのはすでに述べた通りで、日本で十王信仰が高まってくるのは平安時代末期から室町時代のことである。

 さて、こうして中国産の『預修十王経』と日本産の『地蔵十王経』の二つをルーツに「十王信仰」が日本に広がっていった結果、「十王経」やそれに関連する仏書の様々なバリエーションが生まれた。内容にはそれぞれ特色なり差異があるが、基本的には『預修十王経』と『地蔵十王経』のいずれかに遡ることができるといっていい。

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