<私の顔は青白いか? 病弱に見えるか? 長く生きられないように見えるか? 死にそうに見えるか? 違う違う違う違う 私は限りなく完璧に近い生物だ>(鬼舞辻無惨/2巻・第14話「鬼舞辻の癇癪・幻惑の血の香り」)

 無惨は「日光に弱い」という、重大な肉体的欠点を抱えていた。さらに「日の呼吸の剣士」から受けた傷も、完全には治癒していなかった。この傷は陽光と同じ力をもち、数百年もの間、無惨の肉体を焼き続けていたのだ。

 なんとしても、無惨は陽光を克服しなくてはならない。無惨が「完全体」になるためには、竈門禰豆子(かまど・ねずこ)を吸収せねばならなかった。一見すると無敵に見える無惨であったが、自分ひとりでは、日の下を歩くことすらままならない。

■無惨の力は「大災」と言えるのか?

 かつて無惨は、鬼殺隊の長・産屋敷耀哉(うぶやしき・かがや)に向かって「私には何の天罰も下っていない 何百何千という人間を殺しても私は許されている」と、傲慢(ごうまん)に語ったことがあった。

 しかし、天罰とは無縁のはずの彼の肉体は「完璧に近い」だけで、不完全なのだ。陽光におびえる日々。そんな「不完全な」無惨がもたらす厄災は、本当に人間にとって「自然災害」と同質のものだといえるのか。

 無惨は体内に心臓を7つ、脳を5つ持っていた。いわゆる急所が複数あるため、どこかを攻撃されても、別の部位で傷を補うことができた。しかし、それは「神々」のような完全さに由来する力ではない。最終決戦の場面で、厳しい状況に追い込まれた時、無惨が見せたのは、無数の触手、鋭い牙、多くの口を持つ「化物のような」真の姿だった。彼の肉体は「自然」とはほど遠い。その戦い方も、戦闘力は絶大とはいえ、「大災」と表現されるに足るような、大自然の力を思わせるものではなかった。

■「大自然の力」に敗北する無惨

 一方で、無惨と戦っている鬼殺隊の隊士たちが振るう“鬼滅の刃”は、自然界の力を顕現させたものだった。「日、炎、水、岩、風、音、蛇、霞、蟲、花、雷、獣」の呼吸など、そして人間の情熱と関係が深い「恋」の呼吸。生身の人間であるはずの隊士たちが、自然が持つ「超自然的な力」をその身に宿していたのだ。それにあらがう無惨の様子は、「この世の理」を受け入れられない、利己的な生命の一個体にしか見えない。

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