しかし、無惨の場合は、気まぐれ、不快感、口封じなど、利己的な動機からも攻撃する。無惨は、自分が「完全な鬼」になるために、実験として人間を鬼化させたり、戦力となる鬼を増やしたりもする。人間だけでなく、利用価値がなくなれば、鬼すらためらいなく殺す。コミックス3巻には、徐々に人間を喰えなくなった鬼が、無惨から「もう喰えないのか?その程度か?」と傷つけられる場面がある。これらから彼が冷酷な性格であることは明白だ。
■無惨による「救済」
しかし、その一方で、無惨による鬼化を「救済」としてとらえた者たちもいた。鬼の黒死牟(こくしぼう)は、双子の弟への嫉妬と、夢半ばにして尽きかけた寿命に思い悩んだことから、鬼になることを選択している。人間としての「生」に空虚さを感じていた童磨(どうま)は「鬼にしてもらった」と、それを「良いこと」として語っている。少年姿の鬼・累(るい)は、鬼になることで、重い病の苦しみから救われた。
貧困、挫折、裏切り、病苦、肉体の欠損、家族不和、孤独、迫害など、この世にはびこる多くの苦しみから、鬼化によって「救われる」者がいたことは否めない。無惨の絶大な能力は、一部の人間から「不幸」を取りのぞいた。悪に苦しめられてきた人間が、より強大な悪の力を得ることによって、新しい「生」を獲得したという事実――では、無惨はやはり救済者なのか。神々のように、大自然のように、人間に何かを与え、何かを奪う、別次元の存在なのだろうか。否、無惨の実像はもっと不完全で、卑小ですらあった。
■無惨の「完全さ」「不完全さ」
無惨の姿は、他のどんな鬼よりも魅惑的で、見る者に甘美な陶酔すらもたらした。相貌の美だけでなく、カリスマ性、あらゆる鬼を制圧するパワー、多彩な能力、人間に擬態して豊かな生活を送ることができる知性と財力。しかし、それでも無惨は「完璧」ではなかった。路地裏で、酔っ払いに絡まれた時に、青白い顔色を指摘されただけで、激しい癇癪(かんしゃく)を起こしている。