その考えが変わったのは、2019年に新しい義足を製作した時だ。茂木さんの障害は、太もも部分から足を切断した「膝(ひざ)上切断」に分類される。同じ義足ユーザーでも、膝から下を切断した人に比べて歩くことが難しく、からだの負担も大きい。ちょっとしたことで転倒し、肋骨(ろっこつ)などを骨折したこともある。ずっと「走るのなんて無理」と思っていた。

 ただ、東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定してからは、パラスポーツで膝上切断の義足の選手が跳んだり、走ったりしていることが報道されることが増えた。いつしか「私も走りたい」と思うようになった。

 そこで茂木さんは、スポーツ義足製作の第一人者として知られ、パラリンピック選手のサポートをしている鉄道弘済会義肢装具サポートセンターの臼井二美男さんに新しい義足の製作を依頼した。最初に相談をしたのは19年3月、完成品ができたのが同年9月だった。義足ができあがった日、息子から言われた言葉は今でも忘れられないという。

「臼井さんが『屋上で走ってみましょう』と言って、競技用の義足を付けてくれたんです。それで息子と一緒に走ったんですが、走り終わった後に『小さい時、お母さんと走りたかったんだ。今日は生まれて初めてお母さんと走ることができた』と言われたんですよね。息子がそんなことを思っていたなんて、まったく知りませんでした」

 息子の言葉を聞いて、走る喜びがさらに増した。茂木さんは、臼井さんが主宰する義足ユーザーの陸上チーム「スタートラインTokyo」に参加。練習を重ねて、19年8月には100メートルを走れるようにもなった。

 それまでの義足ではできなかった「走ること」ができて、世界は変わった。トレーニングを重ねたことで、転倒することもなくなった。何よりも、以前は見せていなかった義足を積極的に見せるようになった。

「義足を外した時に壁に立てかけていると、息子がデザインしてくれた桜の花がとてもキレイなんです。なんか、息子から応援されているような気がして。だから今は、これまでできなかったことに一つずつチャレンジしているんです」

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いくつになっても、やればできる