何もかもが異例ずくめだった東京オリンピックが8月8日、17日間の熱戦の幕を閉じた。新型コロナウイルスが感染拡大するなかで開かれた今大会は、多くの感動シーンが生まれた一方で、「オリンピックとは何か」という問いに直面する日々だった。
それでも、オリンピックに参加した関係者はそれぞれに“思い”を込めて参加していたことも事実だ。選手だけに限らならい。運営に携わったスタッフも同じで、7月23日の開会式で、国名や地域名の書かれたプラカードを持って選手団を先導する「プラカードベアラー」を務めた茂木孝子さん(57)もその一人だった。
茂木さんは福岡県在住の公務員で、21歳の時に交通事故で右足を失った。現在は義足で生活をしている。開会式ではその義足を隠すことなくプラカードベアラーを務め、世界中で生中継された。「夢がかなってうれしい」と話す茂木さんに、東京オリンピックにかけた思いを聞いた。
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「めっちゃかっこいい」「感動する」
開会式の選手入場行進でカンボジアの国名が書かれたプラカードを持った茂木さんの姿がテレビに映ると、ネット上ではこんな言葉が次々に投稿された。茂木さん以外のプラカードベアラーが着ているユニホームの多くはスカートやズボンで、足首まで隠れている。ところが、茂木さんはあえて義足が見えるショートパンツを選んだ。「世界中の人に義足の私を見てもらいたい」という思いがあったからだという。
「私の義足には桜の花が描かれているんですが、息子がデザインしてくれたものなんです。それを世界の人に見てもらうのが私の夢でした。夢がかなって、本当にうれしい」
26歳になる息子は現在、イラストレーターになるための勉強をしている。茂木さんから「大好きな桜の花を義足の模様にしたい」と相談を受けると、自らデザイン案を描き、義足に貼り付ける絵柄の入った布地は英国のメーカーに特注して製作してくれた。
ただ、交通事故で右足を失ってから30年以上がたっても、義足を見せるようになったのは最近のことだという。「隠していたわけではないんですが、あえて言う必要もなかったので、職場でも知らない人が多かったんです」