●神社とお寺を区別する意味はなく

 それでも、人々が我に返ったのか数年で廃仏毀釈は収束し、今では何事もなかったかのように神社とお寺は別々の宗教施設として存立している。江戸時代までは同じ境内で、別々のお堂(あるいはお社)として並んで建っていたものが、現在塀で仕切られ、自らの歴史を語る際にもお寺の存在などなかったかのように綴っている神社を見るにつけ、少々情けない思いになるのである。

 江戸時代、神社には管理するお寺が設けられた。これらのお寺を別当寺、あるいは神宮寺、神護寺などと呼んだ。江戸時代には神社すべてに別当寺があったのだ。「権現」「明神」などと呼ばれる神社は、間違いなく明治時代以降に神社となった社である。隣接する場所にあるお寺の山号などが神社の名前と似ていれば、それは江戸時代まで同じお堂だった印となるだろう。

 古来、外国文化を自国の文化に上手に取り込んできたのが日本文化の特徴である。また、古い時代に渡ってきたモノを大事にとって置くのも日本人の性分であるようだ。これを切り離す作業はなかなか難しく、神仏分離令のように無理に行えば、後々大きな禍根を残すことになる。日本には浸透しなかったとされるキリスト教でさえ、実は「隠れキリシタン」という形で日本独特の変化をしながら存在していた。マリア地蔵と呼ばれる仏像があったり、今も各地に残る切支丹燈籠の多くは、お寺の境内に残されている。

 それでも日本人の多くは信心についての問いに「自分は無宗教」だと返答する、不思議な国なのである。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)

著者プロフィールを見る
鈴子

鈴子

昭和生まれのライター&編集者。神社仏閣とパワースポットに関するブログ「東京のパワースポットを歩く」(https://tokyopowerspot.com/blog/)が好評。著書に「怨霊退散! TOKYO最強パワースポットを歩く!東東京編/西東京編」(ファミマ・ドット・コム)、「開運ご利益東京・下町散歩 」(Gakken Mook)、「山手線と総武線で「金運」さんぽ!! 」「大江戸線で『縁結び』さんぽ!!」(いずれも新翠舎電子書籍)など。得意ジャンルはほかに欧米を中心とした海外テレビドラマ。ハワイ好き

鈴子の記事一覧はこちら