イチローのルーティーンにはパフォーマンス的要素も入っているという。自分の影響力を理解しており常にファンを意識していた。身体の柔軟性を保つことが最大の目的ではあるが、スター選手としての振る舞いもそこにはあった。
「注目されてからはパフォーマンスも加わったはず。見られているのは自分でもわかっていたから、何をやっても絵になるように意識したのだろう。イチローの真似をしようという子供たちなどを意識したんだろうね。ファンサービスの面もあったしナルシストの部分もあった。プロとしてはとても大事な部分」
「チームメイトとしては気にならなかった。グラウンド外の人は注目していたかもしれないけどね。あれがイチローのスタイルとわかっていた。あそこまでの選手なら何をやっても良いし、プレーに対しても好影響だった。イチローにはあのルーティーンが必要だったのだろう」
野球界だけでなく、他競技やビジネスの世界でもルーティーンの必要性が語られるようになった。そもそもルーティーンという言葉が使われるようになったのも比較的最近な気もする。何かをしようとする時、習慣的に決まったことをするルーティーンは昔にも存在したはずだ。だが、それが大々的に扱われるようになったのは、イチローの登場が大きかったのではないか。
「現役時代、ルーティーンという意識はなかった。でも打席の中などでは自然にやっていた。ベースを叩いたり、足の位置を固めたり、ユニフォームを触ったり。投手でもラインを跨ぐ時にどっちの足とか決めている場合もある。みんな少なからずやっているけど、イチローが活躍したからこそルーティーンを大きく取り上げられたのだろうね」
「ルーティーンは一種のクセ。プレーに入る前、リズムを整えるために同じ動作をやることがクセになる。パフォーマンスの中の1つの動作。イチローが打席に入って投手方向へバットを立てるが、そこから打撃は始まっている。構えを作り投手にタイミングを取るところから打撃開始ではない。だからルーティーンと縁起は違う。縁起というのは願掛け。もっと言えば神頼みで他力本願だね」
同じユニフォームを着ていたのは92年から97年途中までの約5年間。堅実なプレーを淡々とこなす本西に対し、イチローから質問を投げかけることも多かった。また守備ではセンターとライトという隣同士のポジションを守っていた。選手としての変化を一番近い場所で見て来たとも言える。