映画祭出品のため、広島とニューヨークで大急ぎで撮影が進んだ。2カ月で撮影を終わらせ、編集やCG、音響などの作業を残すだけの段階で、アメリカの主要都市は新型コロナウイルスのためロックダウンされた。
「そのため時間の空いたクリエーターたちが、通常ではありえない低料金でリモートで参加してくれました。皆さん、30代の若いスタッフです。火傷(やけど)を負った父を再現した特殊メイクの姿を見て、『この人はあなたのお父さんなの? あなたが生まれてここに立っているのが信じられない』と驚愕し、熱意が20倍くらいになったように感じます。嬉しいことに若い人たちは、日米どちらが悪いなどというようには考えず、このテーマは人類の問題だ、二度とあってはならないんだととらえてくれました。逆境の中でも人間性を失わず前を向いて生きる姿は、日常生活にも置き換えられると思います」
こうして完成した上映時間51分の中編は、昨年の米ナッシュビル映画祭で観客賞を受賞した。
体調を崩し入退院を繰り返していた進示さんは、映画祭の3日目に94歳で眠るように息を引き取った。葬儀開始の30分前に、受賞の報が届いたという。
アメリカで被爆者への理解が少しずつ深まる一方、章子さんは今年の原爆の日の式典で「非常に残念な思い」をした。菅義偉首相は広島では挨拶文を読み飛ばし、長崎では遅刻をしたからだ。
「首相の慣例だし、しょうがないから式典に出た、みたいな印象を受けました。でも父なら、『オリンピックとコロナで疲れているんだろう』と許すでしょう。許す心は大事です。謝れ、なんで謝らないんだと言ってもキリがない。今何ができるのか、これから何ができるのかにフォーカスしないと、地球はとんでもないことになると思います」
(本誌・菊地武顕)
※週刊朝日 2021年9月3日号