自主的に、リハビリに通い続けています。いっぱい歩くし、ゴルフも「僕にとってはリハビリだから」と言って出かけていますね。

夫はとにかく諦めずに、コツコツやっていく努力家。でも性格的に、他人には大変なところを見せたくない人なんですよ。昔、彼は自分を「アヒル」に例えていたことがありました。「皆が見えるところではすーっと泳いでいるように見えるけど、水面下では常に足をばたつかせてるんだ」って。病気をする前までは、そうした様子を私にも見せたがらないから、何でも余裕でこなせる人なのかなと思ってたんですよ。

でも、まさにこの人はアヒルなんだなと、リハビリに励む彼を見て気づいたんです。今まで何でもできると思わせていた彼は、努力して頑張った上での彼なんだなって。すごいなと尊敬しています。

――西村さんが緊急搬送された日のことを振り返っていただきたいです。

夫が倒れたと知らされたのは、昨年11月4日の朝9時ごろでした。私はちょうど娘と一緒に実家にいたので、お手伝いさんから「ご主人が倒れてます」って連絡があって。その日のYouTubeの撮影をキャンセルして、病院にすっ飛んで駆けつけました。

それで、救急室で夫の姿を見て、びっくりしたんです。目に飛び込んできたのは、血が混じった嘔吐物や、鼻から入れられた管ですとか、あまりにショックな光景だった。死んじゃうかもと思って、すごく怖くて。私はずっと泣きながら夫の手を握っていたらしいですけど、気が動転していてよく覚えていないんです。

――医師から脳梗塞と告げられた時の心境は。

脳梗塞と聞いて、とにかく後遺症が怖かったですね。でも、最初は彼が死んじゃうかもと思ったし、生きてくれさえすればいいというところからスタートしましたから。もちろん歩けるようになってほしいけれど、歩けなくてもしゃべれなくても、たとえ二度と仕事ができなくても、生きていてくれるだけでいいやと。そこに尽きるんですよ。

――入院中は、うのさんが献身的に支えていたそうですね。

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