よしさんと一緒に笑っている人達は、みんな、よしさんの知り合いでした。よしさんと会話して、分かったり分からなかったりしながら、突っ込んだり、笑ったり、ムッとしたりするのが日常のようでした。
笑いの中には親しさしかありませんでした。バカにするとか、排除するという匂いはまったくありませんでした。
なによりも、よしさんと普通に接していることが、小学生の僕には驚きでした。言ってることが分からない時は分からないと言い、はっきりしゃべってない時はもっとはっきりしゃべってと言い、筋が通ってない時はこういうことなの?と確かめる。じつに、普通の会話でした。
今から思えば、よしさんは知的障害に分類されるのだと思います。でも、男部屋で一緒に寝た人達は、それが障害ではなく、よしさんの個性として当り前に接していたのです。
それは小学生だった僕には、本当に衝撃的な体験でした。ハンディキャップのある人達に対する接し方が、180度、完全に変わりました。
僕の通っていた小学校では、支援学級(昔はこの言葉ではありませんでしたが)がありましたが、どう接していいか分からず、ただ距離を取ったり、先生に言われた義務感から話しかけたりしていました。
ですが、僕はこのツアー以降、普通に接するようになりました。距離を取ったり、無理に話しかけるのではなく、目があったり、すれちがったり、空気を感じた時に自然に声をかけました。
あのツアーの体験がなかったら、決してそうはならなかっただろうと思います。
商店街のツアーは、今からもう50年も前の話で、まだ地域の共同体が健全に機能していたんだなと感じます。地域にはさまざまな人達がいて、さまざまな人達がいることが当り前で、さまざまな人達と共に生きることが当然なんだと、みんなが地域を大切にしていた時代だと思います(それは「世間」が機能していたということで、この強い「世間」から弾き飛ばされると、いきなり人々は牙をむくのですが、それはまた別の話です)。